エッセイ
サプライズって必要?/前村よう子
この原稿を書いているのは10月下旬。もうすぐハロウィンだ。
それにしても、いつから私たちはハロウィンを年中行事の一つだと認識し始めたのだろう。おそらくある年齢以上の方々にとっては「何それ?お菓子の名前?」ではないかと思う。クリスマスが日本の年中行事として定着し、バレンタインデーが定着し、ホワイトデーなるお返し日(?)まで登場した。節分の豆まきに、いつの間にか巻き寿司(恵方巻き)が加わったのも記憶に新しい。そこにハロウィンである。「とりっく おあー とりーと」というジャパニーズイングリッシュが、通りかかった幼稚園の傍から高らかに響いている様子に、思わず微笑んでしまう。
子どもたちにとって楽しい行事が増えるのは、悪いことではないかもしれない。しかし、そこにサプライズという演出が加わると、私は少し疑問を感じてしまう。
近ごろ、ツイッターや動画サイトでは、サプライズ画像や映像が花盛りだ。劇団四季が関わって実施する大々的なものから、家族や友人たちで行う小規模なものまで、あらゆるものがアップされている。たいていは見ていて微笑ましいが、中には眉をしかめてしまうものも少なくない。
たとえば、食べ物を顔面や服に投げつけること。かつてお笑い番組でパイ投げがもてはやされた事がある。しばらくその風潮は薄くなってきたかと思っていたが、もっとひどい形で、一般人の間で実施されるようになってしまったようだ。
「シュークリームを顔面に受けました。うれしい」
「顔中クリームだらけ、めっちゃハッピー」
「次は○○ちゃんの番だね。楽しみにしてて」
という書き込みとともに、どろどろになった顔や姿を見ると、これって本音なんだろうかと疑ってしまう。ひどいケースになると、少々の洗剤では落ちないようなものを投げつける場合もあるようだ。「いじめじゃないの」「いや、明らかにいじめでしょう」と部外者が思ってしまうくらいに。
誰かを、何かをお祝いするのは良いことだと思う。楽しい思い出になるだろう。しかし、必ずしもそこにサプライズが必要なわけではない。しかも、祝ってもらうはずの本人が痛い思いや情けない思いをしたり、後始末に奔走するようなものは本当の祝いとは言えないのではないか。
ハロウィンを前にそんなことを思う日々である。
(2014年10月)