エッセイ
ノーサイド、ここから・・・/窪田容子
ラグビーは、全く縁のないスポーツだった。子どもが高校生になり、勧誘されて先輩たちが楽しそうだからという理由で、ラグビーを始めた。子どもの通う高校の中で、1、2を争うぐらいハードな部活だったので、帰宅するとくたくたで、寝る以外は何もできない毎日だった。練習もハードだが、体重を増やすために、合宿でも激励会でもとにかく食べさせられるのがつらかったようだし、何かのイベントの時には一年生は一芸を披露することになっていて、それを考えるのも大変だったようだ。朝練を休んで授業だけ行くわけにはいかないらしく、朝練を休めば授業も遅刻をして行く日さえあった。擦り傷は日常茶飯事だったが、脱臼、肉離れ、疲労骨折、捻挫などで、みんなと同じ練習ができない日もあった。
顧問の先生は、その高校のラグビー部のOBでもある若い先生だった。部員が思いを書いて、先生がコメントをくれるというクラブノートが部員全員で回っていて、子どもがたまに見せてくれた。先生の部員に対する熱い熱いメッセージが、毎日毎日、半頁から1頁に渡って書かれていた。ある時は、「お前は、自分で考えて動けていない。自分で考えて、動かなければ、この先の人生でも成功できない。自分で考えろ」だったり、ある時は、「お前らは、いつも仲良く、楽しくやっていて、お互いに厳しいことを言って、ぶつかり合おうとしない。それは、厳しいことを言って、嫌われるのを恐れているからじゃないのか。厳しいことを言われて、傷つくのが怖いからじゃないのか。それでは、本当の仲間にはなれない」など。その子やチームの、弱さを見抜き、成長させようとする、厳しくて、本当にあたたかいメッセージが、いつも並んでいた。
年に1回、子どもたちや先生が思いを綴った冊子が配られた。一年の時には、みんな幼い文章を書いていたが、学年を上がるにつれて書く内容が変わっていき、三年になると、みんなしっかりとした思いを書いていた。最初はラグビーがしんどいばかりで、楽しくなかったという子。何度も心が折れそうになったけれど、仲間に励まされて続けることができたという子。骨折などで、何か月も練習ができなかったけれど、プレー以外の形でチームに貢献しようと切り替えたという子。自分のことばかりで幼かった子どもたちの成長が感じられ、以前顧問の先生が「ラグビーは、子どもを早く大人にする」と言っていたが、その通りになったんだなと思った。
ラグビー部には父母の会があって、飲み会や、夏には激励のバーベキューなどの企画があった。高校生にまでなって父母の会があるなんて・・・と、最初は引く思いだった。しかし、それらの企画や試合の応援を通して、子どもたちのことを知るにつれ、徐々に私も引き込まれていき、三年になってからの試合は、一つも見逃せない気分になり、すべての試合の応援に行った。
最後の公式戦の一試合目は、みんなで力を出し切った良い試合だった。息子がコンバージョンキックをきめる姿を何度も見ることができた。次の試合は、力は互角の相手で、練習試合で勝った相手でもあり、みんな勝つつもりでいた。最初はシーソーゲームだったが、後半になると、普段の力が発揮できないままミスも出て、相手にトライを決められ、点差が開いていった。残り時間がわずかになり、誰の目にも負けが色濃くなっても、「まだ、まだいけるぞ」「まず、一つ返そうぜ」と大声を張り上げ、自分たちを鼓舞しようとしている姿に、目頭が熱くなった。
そして、ノーサイドのホイッスル。泣きながら、並んで挨拶をする子どもたち。その後、グランドの端で茫然と座り込んでいる。
力を出し切って負けたのなら良かったのに・・・。それなら、悔しくてもやりきった爽快感は得られただろうに。いろいろなことを犠牲にして、ラグビーに費やした高校生活。なのに、最後に力を出し切れずに終わってしまったこと。子どもたちは、何より自分に腹立たしく悔しかっただろうと思う。現実はドラマのようにはいかない。けれど、この経験も、きっとまた子どもたちを成長させてくれる。
それでも、応援に来てくれた同級生たちがお疲れ様の差し入れをしてくれる頃には、笑顔が戻ってきた。最後に、並んで記念撮影。並んでいる子どもたちの顔を見ていると、一年の頃に比べて、みんないい顔になったなと思う。
試合の後、応援に来てくれた年配のOBの方が、ブログに書いていた。「ノーサイド。ここから、長きにわたる仲間とのつき合いが始まるんだね」と。
息子が、ラグビーと素敵な先生、素敵な仲間に出会えたことに、心から感謝したい。
(2014年11月)