エッセイ

埋められそうで埋められない、子どもの気持ちと親の心/下地久美子

私の中で、何年かに一度映画ブームがやってくる。映画を観に行かない時期というのは、1年に1本も観に行かないのに、この映画ブームがやってくると、毎週のように映画館に通ってしまう。

今はまさに映画ブームの波が来ている。先週は、『6歳のボクが、大人になるまで。』を観た。テキサス州を舞台に、6歳の少年メイソンが18歳になり大学に入るまでが描かれているが、この映画のすごいのは、2002年の撮影開始から12年間をかけて、登場人物たちの姿を追っているところだ。

1年の数日間、同じ俳優と映画スタッフが集まって撮影をし、年月をつないでいくという、その気の遠くなるような作業がコツコツと積み重ねられていき、俳優たちが実年齢の分だけ年を取り変化していくために、フィクションでありながら、実際に存在する家族であるかのようなリアリティーをもって迫ってくる。

撮影手法の斬新さとは裏腹に、ストーリーは、ささやかな日常の1コマが淡々と描かれていく。

高校時代に知り合い、子どもができて結婚した両親は、価値観の不一致で離婚。シングルマザーになった母は、大学に入り直して心理学の勉強を始め、ミュージシャンの夢をあきらめきれない父は、たまに子どもたちのところにやってきて、数時間を過ごす。

母は再婚し、再婚相手にも同じ年頃の子どもたちがいて、ステップファミリーとなるが、義父のDVにより離婚。住み慣れた町を離れて、別の街へと引っ越す。

やがて、父の方も、正業に就き、再婚し、新しい家族ができる。母の方は、大学教員となり、その教え子と再婚するも、再び離婚。

両親たちの事情に翻弄されながら、主人公の少年は、引っ込み思案で、ややシニカルな心を持つ青年へと成長し、恋をしたり、カメラに夢中になったりしながら、自分の道を探っていく。

実験的な映画づくりの面白さもさることながら、私は、この映画で、スッテップファミリーで育つ子どもの気持ちがリアルに描かれていることに惹きつけられた。ステップファミリーというのは、夫婦の一方あるいは双方が、前のパートナーとの子どもを連れて再婚したときにできる「子連れ再婚家族」のことで、離婚の増加に伴い、日本でも増えている。

ステップファミリーは、初婚同士のカップルが一から家族関係を築いていくのとは違い、すでに出来上がった家族関係に、新しい関係が組み合わされることによって、摩擦が生じたり、予想外の問題が起こりやすい。また血縁のない親子関係は、親にとっても子にとってもストレスフルなものであり、それがカップルの緊張を高める要因ともなる。さらに祖父母や別居親、きょうだいの存在など、ステップファミリーを取り巻く親族関係も複雑である。

継親は、継子をきちんと育てなければというプレッシャーから、厳しく接することも多く、それが行き過ぎると虐待という事態を招くことにもなりかねない。一方、継子からすれば、継親に厳しくされると反発を感じ、ますます反抗的な態度をとり、親子関係が上手くいかない悪循環に陥ってしまう。

映画でも、主人公の少年が、義父とそりが合わない様子が描かれているが、ステップファミリーで育つ子どもの複雑な気持ちがよく出ていた。スッテップファミリーがうまく機能するまでには時間もかかり、試行錯誤がつきものである。そのしんどさを乗り越えると、強い絆で結ばれるのであるが・・・。

映画の母は、新しい夫に見切りをつけて離婚を選ぶが、その潔さは、子どもを守ろうとする母の強さでもあった。

離婚後に子どもが別居親と面会するというのは、日本でも、最近おこなわれるようになってきているが、映画で、子どもたちが別れた父と会うシーンを観て(父親役のイーサ・ンホークの演技が素晴らしかった!)、離れて暮らしていても、親に見守られるということが子どもにすごくいい影響(安心感や励まし、指針のようなものなど)が与えられるんだなと実感させられた。もちろん親にもよるだろうけれど。

大人の都合によって、子どもたちの気持ちが置き去りにされてしまうことは、どこの家族にも起こりやすいものである。時には反抗的な態度で、親へ抗議をすることもあるが、たいていは、ざわざわした気持ちを何も言えずに抑えこんでいる。それでも、子どもたちは、必死でもがきながら、自分の道を見つけて、育っていくということに、しみじみと感動させられるいい映画だった。

私は、登場人物の母に自分自身を重ねて観てしまったので、子どもが巣立っていくときに母が初めて見せる涙に胸が熱くなった。 (2014年11月)

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