エッセイ
目下奮闘中!/渡邉佳代
秋の終わりに、3675グラムの女の子を出産した。予定日を1週間過ぎても兆しがなく、誘発分娩を試みて破水、陣痛…それでも赤ちゃんがなかなか下りてこず、緊急帝王切開での出産だった。赤ちゃんの大きさと私の骨盤の形が合わず、赤ちゃんの頭が引っかかって下りてこられなかったとのこと。取り上げられた赤ちゃんは、何度か下りようと頑張ったようで、私の骨盤に頭をぶつけ、たんこぶができていた。
出産から1ヶ月が経った今、色んな人に「少しは赤ちゃんのお世話に慣れた?」と尋ねられるが、悲しいほど全く慣れていない!出産直後の体の痛み、睡眠不足、24時間の赤ちゃんのお世話…と、その時々に格闘してきたことは変わっていったが、「赤ちゃんとの時間を楽しんでね!」と言われるほど余裕もなく、毎日がジェットコースターのようにあっという間だ。
それでも1ヶ月前の入院中、切開の痛みを堪えながら、夜中に赤ちゃんに授乳し、子守歌を歌って寝かしつけた自分と赤ちゃんの姿を思うと、健気だなぁと、しみじみ懐かしく感じる。たった1ヶ月前のことだが、随分昔のことのように感じるし、慣れないながらも必死だった私も赤ちゃんも愛おしい。
その時は、つらくて大変だと思っていても、振り返ってみたら宝物のようにあたたかく、ピカピカ光っているような時間ってあるように思う。そう考えると人間の回復力、適応力って、本当にすごいと思う。
目下、奮闘しているのは、赤ちゃんへの授乳。入院中から、右おっぱいからの授乳が不安定でうまくいかず、何度も看護師さんや助産師さんに相談してきた。ひどい時は、右だけではなく、左からのおっぱいも飲めなくなり、母乳が出過ぎて張っているのに、わざわざ搾乳して哺乳瓶から与える毎日が続いている。おっぱいを赤ちゃんに近づけただけでも、火がついたように泣かれることが続くと、寝不足の頭も相まって、何だか悲しくなる。
授乳がうまくいかないことに悩んでいた時、ある助産師さんに「おっぱいは特に親と子が以心伝心。ママが自信ないと赤ちゃんも自信がなくなっちゃうよ」と言われた。出産後のおっぱいの悩みは人それぞれだけど、皆通る道なんだ、赤ちゃんにも苦手意識や自信のなさを感じることがあるんだと改めて思った。確かに、私が「いけるかな。大丈夫かな」と不安に思っていたり、「今度こそは!」とピリピリしている時に授乳がうまくいった試しがない。でも、初めから自信があって、不安のないママなんているのだろうか。
入院中、深夜3時頃の授乳室で、新米ママたちと集まり、よく励まし合った。「何をしても泣き止まなくて」「おっぱいが張って痛くて痛くて」「おっぱいになかなか吸い付いてくれなくて」。皆口々にこぼすと、誰かが「分かる分かる!つらいよねー」「泣き止まない時は、ここにおいでよ」と声をかける。
「さっきは泣き止まなくて、大泣きして。うちの部屋、うるさくなかったですか?」と、新しく入ったばかりのママ。「大丈夫よ。どの部屋も同じだもん」「そうそう、泣き声が聞こえると、誰かが頑張っているな、頑張れって思っているよ」「そうだよねー。皆同じだよね。お互いさまだもん」。互いに励まし合い、「じゃぁ、次は6時の授乳だね。眠いけど頑張ろうね」と手を振った。
退院した今、励まし合ったあの時間が、あの時の自分と今の自分を大きく支えていることに気づく。「お互いさま」。その言葉がどれだけ励みになったことか。確かに退院してから、産後ということで大事にされ、家族の手厚いサポートは大きい。でも、自分がしてもらうだけではなく、自分のちょっとしたことが誰かの力になれることは、自分にとってもエンパワメントになる。
おっぱいを飲んでくれない!今は泣きそうなほど困ったことだけど、後になって思い返すと懐かしい出来事になっているかもしれない。最近は必死になり過ぎていたが、右のおっぱいが苦手な私の赤ちゃんにも、彼女のタイミングやペースがあるだろう。私ばかりが頑張り過ぎていても、また、飲んでもらえないことに悲しんでいても、彼女だって悲しいだろうし、やるせないだろうな。
そう言えば、緊急帝王切開が決まった時、赤ちゃんがこの世に生まれてくるタイミングやペースを守れなくて情けない、申し訳ない気持ちで涙が出た。でも、切開して赤ちゃんが出てくると、彼女も頑張って出てこようとして頭にたんこぶを作っていた。自分だけの頑張りだけでなく、小さな彼女の頑張りにも気づき、しっかりと受け止められるようになりたい。
目下奮闘中。自信もないし、不安もたくさんだけど、きっとそうして親子の道を皆、歩んできたのだろうと思う。一息ついて、ちょっとずつ、この子のことを知って、この子の頑張りを大切にしたいと思う。そのためにできることを私はしよう。今は楽しいと思えなくても、振り返って懐かしいと思えたら、それは親子が健気に必死に頑張ってきた証なのだから。(2014年12月)