エッセイ

歴史は繰り返す?/前村よう子

このエッセイを書いているのは、ゴールデンウィーク初めのとある日。でも、私立高校で教鞭をとっている私にとっては、カレンダー通りのごく普通の日。相変わらずの忙しい日々の中で、このエッセイを綴っている。

4月~5月にかけてのこの光景は毎年繰り返されるが、私にとって今年のそれは特に慌ただしい。というのも、久々に情報教科にプラスして、世界史を担当することになったからだ。2年間というブランクは、予想以上に大きかった。教科書が変わっているし、教えるべき重要課題が微妙に変化している。授業で使うプリント作りも一からやり直し。情報科授業の準備に、副担任をしている学年の宿泊研修やその他の行事と、フル回転の日々の中で、改めて世界史を向き合う日々。そんなここ数日、気付いたことが幾つかあった。いや、気付いたというより、再確認したというべきか。

今、日本のみならず世界各地で気候変動が甚だしい。気が付けば毎年、「例年にない」という枕詞がついた気象現象に見舞われている。自然災害も、常に私たちの身近にあることを、思い知らされている。世界各地で紛争やテロ行為も絶えない。

世界史Aの最初の部分は、人類の誕生から始まるが、地球上に現れた様々な生物たちが当時の気候変動の中で誕生しては滅びていく様を概観すると、私たち「ヒト」も生物の定めの中で生きる存在なのだなと哲学的な思いを抱かされる。

また、「ヒト」が火を使い、やがて言語を使い、後に灌漑農業を始める中で、集団を形成し、やがて村落から都市国家が建設されると、社会余剰(生産の直接関わらない武人や神官など)が生まれ、階級が生まれることや、集団と集団との間の交流と反目が略奪行為や紛争、戦争につながる様などは、「なんと私たちは、過去から何も学ばないのだろう」という思いにかられる。

古代史をほんの少し紐解いただけでもこうである。この先、授業準備を進めていけば、近現代史に重きを置いている世界史Aの中でさえ、「ヒト」の愚かな足跡をてんこ盛りに学ぶことになる。

そんな内容を教科書や参考書などを読み進めていると、現在、毎日のように飛び込んでくる国内の政治情勢、国際的な政治情勢に対して、「なんで学ばないの?なんで同じことを相も変わらず繰り返すの?この結果が良いものじゃないことなんて誰の目にも明らかじゃないの?」と感じると同時に、「そのことを『愚かな行為はやめよう!』と声を大にしている若者たちを、なぜ馬鹿にしてあげつらうの?」と嘆かわしく思う。

「理想と現実は違う」という常套句がよく使われるが、「現実を変えるには、理想を持たねばならない」のもまた事実。「歴史は繰り返す」を、「時には歴史は繰り返さない」に変えてみませんか? (2016年5月)

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