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思春期の協同関係から生まれるレジリエンス/渡邉佳代

『女性ライフサイクル研究』第16号(2006)掲載

1.はじめに

筆者は女性ライフサイクル研究所のスタッフをしているほかに、スクールカウンセラー(以下、SCと略記)として中学校に入り、臨床活動を行っている。筆者がSCを続けるなかで、専門の援助機関に訪れることのない/つながりにくい層である子どもと接することが多くあるが、非常に困難な状況のなかでも、子ども自身が持つ逆境を乗り越える力や工夫、知恵、子ども同士のつながりから、専門家が学ぶことは多くあると実感している。

守りの薄いなかで、小さくて細い肩にたくさんの荷物を背負い、精一杯がんばっている子ども。あまりに苛酷な環境のなかで、ただ、生きていてほしいと祈ることしかできないような子ども。苛酷な状況の渦中にいる子どもに対して、大人が上から何かをしてあげよう、専門家として何かサポートをしてあげようとすると、無力感を抱いたりするようなことも少なくない。

しかし、筆者がただ子どもの側にいることしかできないような状況のなかでも、子どもたちをよく見ていると、彼らには、そのときどきで自分に必要なつながりやサポートを、自ら手にする力があることに驚かされる。また、同年代の友達が何の躊躇いもなくさっと手を差し伸べ、その一般的な関わりやつながりが、苛酷な状況に生きる子どもにとって、大きな力になったことも多く目にしてきた。筆者は、そうした子どもたちの生き抜く姿や生命の力強さ、子ども同士のつながりに何度も感動してきた。ここに、大人や専門家が、彼らの姿勢やサポートから見習うことが多く含まれているように感じている。

本稿では、思春期の子ども同士のつながり、特に同年代の親友との関係に焦点を当て、そのなかで生まれたレジリエンスについて述べてみたい。

2.思春期とは、どのような時期か

①思春期の発達課題

思春期の発達課題として、アイデンティティの確立が挙げられる。子どもたちは、今まで親や周囲の大人が設定してきた枠組みを乗り越えて、自分とは何か、自分はこれからどのように生きていくのか、どのように他者や社会とコミットしていくのかという、自分なりの生き方を試行錯誤しながら探していくという、大変な作業を始める。この時期、程度の差はあるが、不安感、過敏性、感情の変わりやすさ、自己中心性、攻撃性、理想主義的などの傾向が見られ、これらは健全な思春期の特徴であると言える。それゆえに誰にとっても不安定に揺れ動く時期である。

これを一般的に思春期危機と呼ぶが、子どもたちはたいてい、試行錯誤が許される環境のなかで、周囲のサポートを得ながら自らの課題を乗り越えていく。なかでも、自分の鏡となり、悩みや苦しみを分かち合う親友の存在が、思春期危機を乗り越えるための大きな力となることが多いようである。

②思春期における「親友」の意義-サリヴァンの青年期論から

サリヴァン(Sullivan, 1953)は青年期の心理的発達のなかで対人関係を重視し、子どもたちが異性との親密な関係を築く以前の段階において、「同性の親友(chum)」を持つ重要性を説いている。この時期、子どもたちは、ある特定の相手が体験することを自分のことのように感じ、相手の満足と安全が自分自身のものと同様に重要な意味を持つという。この対象となる相手は、自分とよく似た特徴を持っていることが多く、普通は同性で同年齢の他者であり、二人の間にはサリヴァンの言う「協同(collaboration)」という関係が成り立つ。

この協同関係のなかで子どもは、同類であるといった同一視から、今まで話せなかったことも親友に話せるようになったり、互いの価値を確認し合ったり、互いの体験を比較することによって自身の人格を修正し、自ら補う力が発達するという。これこそが思春期において、今まで親や周囲の大人の関わりでは十分ではなく、置き去りにしてきた発達課題を、親友との関係を通じて、自らの手で再び獲得していくチャンスと言えるであろう。

幼い頃から不運にも虐待的な家庭に育ってきた子どもや、学校でいじめにあってきた子どもは、それまでに自身の存在が周囲から肯定的に認められることが少なく、また自身でも目を向ける機会が少なかったことが考えられる。特にこうした子どもたちにとって、この時期に親友を得ることは、自らが持つ力や存在意義を確認して逆境を乗り越える力を蓄え、また、それぞれの課題を修正、補い合うという点で大きな意義があると考えられる。

以上のような思春期の子ども観から、次に筆者や他のSC、学校の教職員から聞いた話を合わせて架空の事例とし、逆境のなかで、子ども同士が協同関係を築くことによって、互いに持つ力を確認し、そこから生まれたレジリエンスを紹介する。

3.事例-直子とミドリのレジリエンス

※以下の事例は特定される個人の体験ではなく、さまざまな事例の複合である。

①自己否定観の強い直子「私はダメな子」

直子は両親と二歳離れた兄との四人家族だったが、両親は直子をめぐっての喧嘩が絶えなかった。兄からも直子は馬鹿にされ、暴力を振るわれることもあった。直子をかばうことで父に詰られる母を見てきた直子は、母を気にかけ、母を支える役割も担ってきた。

直子は小学校に入学して間もなく、人見知りすることから、言葉の暴力や無視によっていじめられるようになった。直子は次第に腹痛や下痢、頭痛などの身体症状を訴えて、学校を休むようになった。父と兄が学校へ行けない直子を責めると、直子の身体症状はますますひどくなり、母とともに公的機関のカウンセリングを受けるようになった。

中学校に入学すると、担任が直子と関係を築こうと心を砕いて家庭訪問を繰り返し、直子は何とか登校するようになった。それからも、直子は授業中に吐き気や腹痛を訴えることがあったため、担任が直子のカウンセラーに連絡を取ると、「クラスにいづらくなったときのために、直子の逃げ場を校内に作る」ことが提案され、直子はしばしば別室で過ごすことで、何とか学校生活を送ってきた。直子は別室で担任に「私はダメな子。いないほうがまし」と泣きながら訴えることもあった。

②一匹狼のミドリ「わかったふりをするな! きもいんじゃ!」

ミドリは三歳のときに両親が離婚し、母と二人で暮らしてきたが、実際には母は生活のために昼夜働き続け、ミドリは一人で過ごすことが多かった。ミドリの母は学校とも近所とも関係が築きにくく、母自身が孤立して、ミドリとどう接してよいかわからず、学校にいっさいを任せているような様子だった。

ミドリは幼い頃からどこか冷めた目で周囲を見ていることが多く、そのため周囲も敬遠して友達関係を築くことが難しかった。何か気に入らないことがあると、授業中でもプイと抜け出すことがあり、それを職員が宥めて制止しようとすると、「わかったふりをするな! きもいんじゃ!」と、言葉を荒げて暴れることもあった。

ミドリは一匹狼のように周囲を寄せつけなかったが、保健室付近でいつも独り佇んでいるミドリを養護教諭が気にかけていた。ときおりミドリに話しかけても睨みつけるようにして去っていったり、授業中に抜け出して誰もいない音楽室で歌うミドリを見かけたりすることもあり、養護教諭が担任とSCに相談して、サポート体制を築くことになった。サポート体制としては、ミドリが教室を飛び出したときは無理に戻すのではなく、普段からミドリを気にかけている養護教諭が主に保健室で関わることとし、その他の教職員は養護教諭をサポートしていくことにした。

③直子とミドリの出会い

直子とミドリは、中学二年生から同じクラスになった。学校を休みがちで、登校してもたびたび別室に行く直子に向かって、ミドリは「特別扱いでいい身分やな」と口にすることもあった。また、ミドリは直子が別室に入っている日は特に教職員に反抗し、教室を飛び出すことも多くあった。しかし、ミドリは自分の言動のために直子が教室に入れなくなっているのではないかと気にしている様子も見られ、直子が別室に移った後にミドリが別室付近でうろうろしていることもあった。

ある日、たまたま鍵をかけずに別室に一人でいた直子のところへ授業を抜け出したミドリが、「なんで授業に出ないんや? 私のせいか?」と訪れたことがあった。直子は怯えながらも、ミドリだけのせいではなく、自分もクラスに入れないのが悪い、家でも自分のせいで両親が喧嘩をすることを涙ながらに話したという。ミドリも家でのいづらさ、学校での居場所のなさを感じていたのだろう。泣きながら話す直子の話をじっと聴いていたという。

④直子とミドリのつながり

その別室での直子の告白以来、ミドリは直子のいる別室に訪れることが多くなり、直子も別室の鍵を開けてミドリを迎え入れるようになった。授業の間、一緒に別室で過ごしたり、ミドリの好きな授業には直子を誘って一緒に出席するようになった。直子はミドリに家族との関係を相談することがあり、ミドリも素っ気なく「そんなんほっといたらええ」と言いながらもじっと耳を傾け、母との関係を振り返っているようでもあった。次第にミドリから直子に「私の場合は……」とアドバイスするようになると、直子から逆に励まされたり、慰められたりすることもあり、ミドリも徐々にではあるが、安心して直子に打ち明け話をしたり、弱みを見せたりするようになった。

あるとき、ミドリは「ムシャクシャして学校を飛び出すけど、その後、どうしたらいいかわからへん。近所を一巡りすると落ち着くけど、その後、独りだって気づくと怖くなって動けなくなる」と話した。直子はミドリに協力して、ムシャクシャしたときにどのコースで学校に戻ってくるか、「ムシャクシャ解消コース」と名づけたマップを、得意な絵で描いて作成した。ミドリはその後、学校を飛び出しても、そのマップのコースを辿って戻ることが増え、その後、直子に「帰ってきたで!」と嬉しそうに報告することもあった。

⑤教職員の理解

絵を描くことが得意な直子と、歌うことが好きなミドリは、ときに別室を抜け出し、音楽室でミドリが歌う横で直子が黒板に絵を描く姿も目撃され、教職員のなかでは、このまま放っておくと二人はますます教室に戻りにくくなるのではないか、他の生徒に示しがつかないという声が上がった。また、進級する際のクラス換えでは、二人がべったりと一緒にいるより、他の関係を築くことも必要ではないかという声も上がり、二人を別のクラスにする案も持ち上がった。

その都度、二人をサポートする教職員やSCが中心になって、ミドリと直子が築いているつながりのなかで、現在直面している育ち直しの課題を周囲に促し、クラス換えの案も二転三転しながらも、引き続き二人は同じクラスになった。

⑥直子とミドリの卒業

直子は、ミドリに励まされて教室と別室を行ったり来たりしながら進路を決め、通信制高校の美術科に合格した。ミドリは受験が迫ったプレッシャーからか、一時は教職員に反抗したり、学校を飛び出したりすることもあったが、その都度、直子に励まされ、その後は無事、定時制高校に合格した。互いの卒業アルバムには、「うちら、離れても一生親友やで!」の寄せ書きが大きくあった。二人は現在、高校に通いながら、それぞれの夢に向かってがんばっている。

4.考察

①二人の少女たちがつながることで確かめられた/生まれたレジリエンス

この事例では、二人の少女が「どこにも居場所がない」という共通点からつながり、協同関係を築くなかで、互いに安心感や信頼感、自信が生まれていったと考えられる。

直子は家族のなかで母に守られ、また自身も母を支える役割をしてきたことから、ある程度他者を信頼してしんどさを表現でき、またしんどさを抱える人を支える力があった。その力によってミドリとつながり、母親とは異なる思春期の健康的な二者関係のなかで、自身もしんどさを表現しながら、ミドリを励ましてきた。また、自己否定感の強い直子にとって、ミドリの持つ反骨精神から、自分の足で立ち上がることや、自分だけが悪いわけではないという力強さに影響を受けたことも考えられる。そうしたミドリを支え、自分が役に立っているという実感からも、直子の主体性や有能感が生まれる一助になったとも言える。

ミドリは周囲に反発することで自分を守ってきたが、それゆえに周囲との関係が築けないという課題があった。ミドリは自分と似た悩みを持つ直子とつながることで、信頼感や安心感が生まれ、徐々に心を開いて弱みを見せるようになってきた。このことは、心の鎧を脱いで他者の助けを受け入れ、弱い自分も認めるという真の強さを得たとも言え、ミドリがあるがままの自分の存在を肯定的に受け取れるようになってきたとも言える。

二人の協同関係は、互いのつらい体験を共有して逆境を乗り越える力を蓄え、さらに置き去りにしてきた課題を互いに補い合ってきたと言える。家庭でも学校でも自身の存在が肯定的に認められる機会が十分ではなかった二人にとって、自らの力や価値、存在を確認し合える親友とつながれたことは、非常に大きな意義があったと考えられる。

②二人の協同関係を見守る枠組み作り

教職員が問題行動だけに注目するのではなく、二人の協同関係や思春期の健康的な足掻きの意味を理解し、二人を見守る体制を周囲で整えていったことが、二人にとって大きなサポートになったようである。ときにこの事例のように、問題のある子どもたちがつながることや好きなことしかしない怠けであるという見方により、思春期の協同関係を引き離そうとする力が大人の間で働くこともあるようである。しかし、子どもたちの協同関係の意義を認めて見守りながら、力を蓄えていけるような環境を保障する教職員の仕組み作りは、子どもたちのレジリエンスをより高めるための大きな要因となるであろう。

その仕組み作りを整えるためにも、担任だけが抱え込まない柔軟な教職員同士のサポート体制と、子どもの変化や成長に伴った体制の打ち直し、教職員間の情報共有と共通理解が必要である。今後の課題としては、校内だけでなく、必要に応じて地域にあるリソースをうまく取り入れながら、子どもに必要なサポートを増やしていくことであろう。

ときに教職員の疲労が強くなり、問題行動を呈する子どもの理解が難しくなることもあるが、SCなどの専門家に相談しながら現在の課題を整理し、子どもの成長と変化を確認して理解を深めていくことも必要である。専門家は子どもへの直接的支援のほかに、子どもの健康的な足掻きの意味を見て取って教職員に助言したり、子どもを抱える環境やバックアップ体制を整えたりして間接的支援を行うことも大きな役割となる。

5.おわりに

本稿では、思春期の親友との関係に焦点を当てて、そこで生まれたレジリエンスについて考察してきた。一方、筆者が懸念していることとして、親友との関係を築くことが困難な子どもも少なくないことである。思春期ではトラブルとぶつかり合いが自然に見られる時期であり、それを乗り越えて親友との関係を築き、自分や他者とのつきあい方、生き方を模索していくきっかけとなりうる。しかしながら、親友との関係を築けない子どもに共通して、周囲を気遣うことに細心の注意を払い、トラブルを極力避ける傾向が見受けられるように思う。

明るく元気に学校生活を過ごしているように見えて、他者とぶつかることや失敗することを恐れて本心を押し殺し、心のなかはいつも孤独と不安が吹き荒れている子どもたちは少なくない。子どもたちがひきこもったり、突然キレて致命的な事件を起こしたりするニュースが注目されるが、失敗の許されない社会の風潮に縛られた子どもたちが、それぞれに思春期の生きづらさや孤独を抱えて、精一杯自分を守っているように感じる。

周囲の大人の役割として、子どもが思春期を乗り越えるために必要な環境を整えていくことが挙げられるが、ときに間違い、失敗することも認め、子どもが試行錯誤できるゆとりや力を蓄えていけるような仕組みを柔軟に整え、子どものレジリエンスを育み伸ばすサポートが必要となってくるであろう。

【文献】

村本邦子・渡邉佳代(2005)FLC21子育てナビ⑩『不登校とのつきあい方』三学出版
Sullivan, H.S.(1053)Conceptions of modern psychiatry : the first William Alanson White Memorial Lectures. NY : Norton. サリヴァン、H.S.(1976)『現代精神医学の概念』(中井久夫・山口隆訳)みすず書房

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