エッセイ

ありがとうを届けそびれる前に/窪田容子

自分の年齢が上がってきているせいなのだろうが、関わりのあった人の訃報を聞くことが増えてきた。同窓会では、亡くなった同級生のことを耳にする。長く会っていない親戚の訃報に、実感がわかず、感情があまり揺らがない自分自身に戸惑うことがある。一方で、仕事上でやり取りのあった担当者の訃報に、かなり動揺している自分に気づくこともある。

先だって、仕事上でお世話になった方の突然の訃報が舞い込んだ。年に数回お越しくださり、仕事の話から、社会情勢に至るまで色々な話をしてきた。まだお若いのに、これからの仕事の話もしていたのに、本当に悔やまれる。私にとって何より心残りなのは、もっときちんとお礼を伝えておけば良かったということ。会うたびに、ありがとうございましたと挨拶はしていたけれど、そんなお礼ではなくて、本当に感謝していることを、もっときちんと伝えておけばよかった。

でも、もう、ありがとうを届けることはできない。

人の命がいつ途絶えるか分からないことは、頭では理解している。ただ日常では、関係が続いていくことを、また次に会えることを想定しながら、暮らしていくものだと思う。

ある方が、子どもと言い合いをしたまま、学校に送り出さないのだと言っていた。それが、最後になるかもしれないのだから・・・と。

この先、どれほどたくさんの訃報に接することになるのだろう。自分の命が長く続けば続くほど、たくさんの人を見送ることになる。ありがとうを口に出すことは、時に照れ臭いところもあるけれど、心の中で思っていても伝わらない。言葉に出して伝えたい。

フェリアンはたくさんの人に支えられている。ご縁を結んで頂いた皆様に、応援してくださっている皆様に、心から感謝を伝えたい。出会う機会がある人には、その時に伝えたいけれど、まずはこの場で。

いつも本当にありがとうございます♡

(2017年10月)

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