エッセイ

夢の不思議 ~その続き~/森﨑和代

今から約9年半前の2007年7月、わたしは以下のようなエッセイを書いている。

わたしは夢を見るのが好きだ。

誰もが今まで無数の夢を見、忘れ、そして今日に至っていると思う。夢は記憶がさまざまな形で再生されて生まれるらしいが、わたしの夢にはいくつかの不思議がある。

今から10年ほど前、亡くなった祖父が夢を介してわたしに法事を知らせた事があった。

その日の夢は白黒で、着物を着た人が大勢集まっていた。もやっとした中に多くの人がいてにぎやかだった。そしてわたしは何故か、その夢のことを祖母に話した。最初は何気なく聞いていた祖母。しかしその数日後「よう言うてくれた!今年はおじいちゃんの33回忌やった。忘れるところやったわ、あんたに知らせに行ったんやなぁ」。

数年前、又同じような夢を見た。以前のことがあったのでこれは誰かに話さねばと母に話した。「そんなこと2回もないわ。該当する人もおれへんし」と、つれない返事。それもそうかと思ったがその1~2ヵ月後、今度は今まで一度も見たことのない母方の祖母の夢を見たのだ。やはり気になり、再度母に話す。もしそうなら、連絡があるはずと言う母を説得して調べてもらうと、やはりその年は祖母の33回忌だった。

3年程前には、友達の亡くなったお父さんの夢を見た。一度も会ったことはないが、なぜか顔を知らなくても彼女のお父さんだと判るのだ。とにかく亡くなった人の夢は何かの知らせと思っているので、彼女に「お父さんの夢を見たよ」と電話をした。すると彼女は急に泣き出し、「心配してカーちゃん(わたしの呼び名)の所へ行ってんな・・・」と誰にも言えなかったと、つらかったことを話してくれた。

場所にまつわるいくつかの夢も不思議だ。

それらの夢はいつ見たのかも解らない。しかしその場所の夢は時々ふっと頭に蘇り、忘れることがない。そして、このうちの2箇所は妹が住むことになったところ、もう2箇所もわたしが移り住むところとなった。

これらの場所は必ずしも、夢と現実の場所が一致するわけではない。しかし、その場所に立つと記憶の奥からその場所の夢が蘇り、「あの夢の場所だ!」と解るのだ。何かがカチッと合う感じがするから面白い。

この夏、わたしは1月から夫が単身赴任している上海へ行く。前々から私の記憶にあるひとつの夢、赤くて太い柱があり、見上げると赤い大きなちょうちんのある寺院。その中をまっすぐ進み外に出ると、リヤカーが2台綺麗な扇子を売っている。カチッと合えば又ひとつ夢が現実になる。「そうか、ここに来ることになってたんや!」と。(2007年7月)

そして、この夢と現実の続きはどうなったかというと・・・

この時上海の豫園という場所にいったとき、例の何かがカチッと合った。「あ!あの夢の場所だ」と。この夢はまさしくこの豫園だった。

それからさらに7年後には、記憶の奥にあった場所の夢、鉄の扉を開けて入ると砂がいっぱい積み上げられている場所、これは次の単身赴任地エジプトだった。ピラミッドを見に行ったとき扉を開けて保存地区に入る、その時あの思い出したのだ「ここへ来ることになっていたんだ!」と。

しかしこのいつ見たかもわからない、その場所に立つと記憶の奥からよみがえってくる場所の不思議な夢。不思議な場所の夢はまだある。残りは、どうも日本だと思うのだが・・・。さあ、次はどこに行ったとき「あ!あの場所だ」とカチッと何かが合うのだろう。わくわく楽しみにしておこう。

夢と言えば、夢でなければ起こらないような素敵な夢、空を飛ぶ夢も何度か見た。夢の中から出る扉を知っていたのに迷子になり出られなくなりパニックになった夢、ラッキーな夢が正夢になったこともある。

今夜はどんな夢が見られるかな~。楽しみになってきた。しかしよく考えると、最近夢を見なくなってきたかも。ぐっすり眠れているのだったら、疲労回復にも役立ち身体には良いのかもしれない。でも、私は夢を見るのが好きだ~~~!

あなたはどんな夢を見ますか。 (2016年2月)

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