エッセイ

晴々と/ 安田裕子

人にいえるぐらいの失敗談、恥ずかしかったこと、挫折の経験、そんなこんなを、振り返った。ある会で、一分程度で自己紹介を、というお題をもらってのことである。聞き手をドン引きさせることなく、おもしろおかしく伝えられることはないかなぁ、と考えてみた。いえないようなことも含めてだけど(笑)、アルアル、いっぱいある! 思わずクスッと笑いながら思い出されることが、あれやこれやと、でてくるわ、デテクルワ。

とっても焦ったエピソードを、ここでひとつ。十数年前のこと。自動車の行き来の多い国道一号線。右折レーン、交差点に入ったところ。対向車が行き過ぎるのを待って、往来が途切れた際に発進しようとアクセルを踏むも、クシュンクシューン…と、エンジン音が途絶えた。一人暮らし先の遠方の地に、夜行バスで帰ろうとする大学生の弟を、駅まで送る道すがら。自動車という名の、鉄とゴムの塊は、一号線のどまんなかでビクとも動かず。反対車線の向こう側にあるお店の人に、どうにか助けてもらえないかと思って、赤信号なのに自動車から道路に飛び出したりと、私はちょっとしたパニック。

幸いなことに、夜に国道一号線のまんなかで立ち往生状態というひどいありさまを発見してくれた人が、交差点の向こうから走り寄ってきてくれた。降車した弟と二人で、自動車を後ろから力いっぱい押してくれて(ちなみに私は車内でハンドルを操作する係)、交差点を抜けたところの向こう側の路肩に、やっとのことで到着。その路肩で、その男性が自動車に備えもっていたブースターにより、エンスト状態の自動車がブォーンと息を吹き返した。

そこでホッとするも束の間、夜行バスの出発時間に間に合わせないととはやる気持ちで、お願い!止まりませんように、と祈るような気持ちで、自動車を走らせつつ、無事に弟を駅に送ることができた。もっとも、そこから自宅まで、またエンジンが止まってしまわないかと、とってもヒヤヒヤ。無事に自宅前に到着することができた時には、本当に、ホッとした。

ある場所や目標に行き着くまでには、とんでもないことが起こることがある。思い通りに行きつけないことだって、もちろんある。なんとなく予想できていました、という場合もあれば、イヤイヤまったく思いもよらなかったのです…、ということまで、そのハードルや予見可能性の程度はさまざま。思い出してこうして笑いながら語るも、いずれにしても渦中では、いわば「先の見えなさ」のただなかにいるわけである。ドキドキしたり、逃げたくなったり、どうすればよいかと考えあぐねたり。年齢や経験によっても、対処できること、できないこともあるだろうけど、みんなそれぞれに、その時々でできることをやってきたんだよね、と、なんとはなしに温かい気持ちになる。いまここで生きているということが、そのことの確かな証である。

つらいこと、悲しいこと、失敗や喪失や挫折の経験。生きていればやはり、こうしたことに直面することもあるだろう。自分の価値観に正直に、大事なことに向き合えば、なおのことであるようにも思う。もちろんそれは、やっぱり残念なことなのかもしれない。しかし、よかれあしかれ、ご縁にゆだねなくてはと思えることも、新しい出会いも、きっとある。長く生きていると、いろんな経験とつながりのなかで、またいいこともあるよねとそんなふうに思えることが、心底ありがたい。自分の生きてきた歩みを、そしてそこにかかわってくれる/かかわってくれた人たちの人生を、きちんと尊び、感謝して、前を向いていきたいと、改めて思う今日この頃である。

(2016年2月)

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