エッセイ

小さな関わりの中に・・・/窪田容子

出先で、仕事の合間の時間に、オープンしたてのカフェを見つけたので入ってみた。自宅の1階がカフェで、中は広くはないけれど、落ち着く空間になっていて、私より少し年上らしき店主がひとりで切り盛りしていた。「まだ慣れてなくて、時間がかかるのですがいいですか?」と聞かれて、「大丈夫ですので」と伝え、午後の仕事のための資料を読みながら、のんびり待つことにした。

老夫婦のお客さんが入ってきて、どうやらご近所の方のようである。息子が音楽活動をしているようで、コンサートのチラシを置いてもいいですか?と頼んでいる。その老夫婦に、店主が夫を亡くしてから仕事をしなければならなくなったこと、建築士や紅茶を販売している人などたくさんの人のご縁に恵まれて、降りるとは思わなかった融資も降りてカフェを出すことになったこと、自分自身にアレルギーがあるので野菜の素材にこだわっていることなどの話をしているのを聞くともなく聞いていた。このカフェ、うまくいくといいなぁと、私も応援したい気持ちになっていた。

少しして、若い女性のお客さんが入ってきた。建築士の仕事をしていてどこかで店主と知り合い、この店を見せてもらいに来たようだった。店主が、老夫婦に彼女のことを紹介すると、老夫婦の男性が興味を持って女性のテーブルに移動し、建築についての話を始めた。彼女は、自分で建築事務所を始めたところだという。建築士の彼女を応援する空気がその場を包んだように感じられた。

私はその会話に交わらなかったが、たまたま入ったカフェで、たまたまそこで出会った人たちの会話を聞くともなく聞きながら、懸命に生きているそれぞれ姿に感じ入っていた。これまでの人生で、そして、今ここの小さな関わりの中でも、人に感謝し、人に関心を寄せ、肯定的な思いを向けている人たちの間に流れる時間が心地よかった。ランチが美味しかったことを伝え、あたたかな空気をおみやげにもらって、カフェを後にした。

帰りの電車で、私はドアのそばに立って、スマートフォンを見ていた。近くに、赤ちゃんをだっこして、3歳ぐらいの子どもを連れたお母さんが立っていた。電車がホームに近づいたとき、子どもの手がドアにくっついたままなのが気になっていた。手がドアに引き込まれたら危ない。お母さんは気づいていない。ドアが開く寸前に、子どもの手を守ろうと手を伸ばしたら、反対側からも手が伸びてきた。子どもを挟んで反対側に立っていた別の女性の手だった。彼女も、この子の手を気にしていたんだ・・・。その女性と小さく笑みを交わして、ほっこりとした気持ちで電車を降りた。

小さな小さな関わりの中に、ふと流れる気持ちのやりとり。そんな、何気ないあたたかな空気が、その時間を過ぎた後も、素敵な余韻をもたらしてくれた。

(2016年1月)

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