エッセイ
幸福な老い方/下地久美子
ここ最近、年齢のせいもあるが、幸福な老い方とはどういうものかということに関心がある。
そこで、何かヒントにならないかと、元気な先輩女性たちの本を、あれこれ読んでいる。まずは、ベストセラーになっている佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』。佐藤愛子さんは、とにかくいつも怒っていて、これが生きるエネルギーになっているんだろうなと思う。怒るためには、世の中のことに関心を持たないといけないし、批判精神も必要だし、それを持ち続けているところがすごい。
この本で、一番参考になったのは、88歳の時に、これからは余生をのんびり過ごそうと思って仕事を辞めたら、何もすることがなく老人性のうつ病のようになってしまった。それが、またこの連載エッセイを書きはじめて、元気が戻ってきたという話だ。私も働ける限り働きたいというのが願いで、そのためにはやはりいろんなことに好奇心を持って、気持ちは老けないようにしないといけないと思う。
次に読んだのが、瀬戸内寂聴『老いも病も受け入れよう』。テレビでは、あんなに元気そうな寂聴さんも、高齢ゆえに病気と怪我に苦労されているんだというのを知った。それでも、若い人たちと付き合って、美味しいものをたくさん食べて、楽しいことを考えて、何でも笑い飛ばすようにしているという。
「人の言うことは気にせず、自分のしたいことをする。それが若さと元気の根源」というのも、95歳の人の言葉だけに深いなぁと思う。
93歳の時に雑誌の表紙の写真撮影があって、50年ぶりにつけまつげをつけてみたというエピソードは、さすがだなぁ~と感心。
そして最後に、吉沢久子『99歳、いくつになってもいまがいちばん幸せ』を読んだ。この本はタイトルが素晴らしい。99歳にして、今を一番幸せと思えるというのは、老いの達人と言える。吉沢久子さんは、前のお二人に比べるととても地味だ。地味ではあるけれど、地に足をつけて日々の暮らしを大切にしているところが良いなと思う。
本書のはじめにの中にこんな一節がある。「齢を取るということは、齢を重ねた年月の間に、若い時には見えなかったことが、いろいろ見えたり、物を知ったり、理解できたり、知恵を貯めた豊かな自分に出会えることもあるのです。五十代以降は、失うものがたくさんあります。体力も、気力も、そして経済的な面でも。若かった昔と同じように暮らせなくなったとき、それを惨めで不幸と思うか、シンプルでいいなと思うか、ここが幸か不幸かの分かれ道なのです。老いて後の人生の下り坂の景色もまたいいものです。ゆったりとした時間は若い時には味わえない醍醐味です」
この老いて後の人生の下り坂の景色というフレーズを読んで、ふと老いて後に豊かな景色を見るには、今を大事にしないと、いい景色は見えないんじゃないかなということに気がついた。
いい景色というのは、別に華やかで輝かしいものではなく、自分が正直に一生懸命生きてきたと思えることなのではないだろうか。幸せな老後を迎えるには、老後に続いていく日々を、自分が生かされていることに感謝を持って、毎日丁寧に生活していくことにちがいない。
幸せな老後というのも、人から見て幸せそうに見えるかどうかということよりも、たとえひとりであっても、病気を持っていたとしても、自分が幸せと感じられるかどうかが肝心だと思う。そういう意味では、小さいことに幸せを感じる能力というのは豊かな老後を生きるのに必要なものかもしれない。
実は、私は年を取ることをそれほど恐れてはいない。過去は経験したことだけれど、未来は自分が知らない世界だからだ。どうせなら未知の体験を楽しんでみようと思っている。
そして、できることなら、元気な先輩女性たちのように、明るく笑いながら、味わい深い老後を送りたい。
<参考文献>
佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』小学館(2016)
瀬戸内寂聴『老いも病も受け入れよう』新潮社(2016)
吉沢久子『99歳、いくつになっても今がいちばん幸せ』大和書房(2016)
(2017年5月)