エッセイ

第二の人生 冬 そして新たな春へ/森﨑 和代

2015年の春から、「第二の人生/春」「第二の人生/秋」と題してエッセイを書いてきた。そして2016年10月、とうとうやってきましたその続き「第二の人生/冬」が。

繰り返しになるが、「第二の人生/秋」に書いたように、夫は2年前に定年退職し、退職して半年後さらに1年間単身赴任をすることになった。昨年10月には、「夫とまた離れ離れになってしまう」と寂しくて涙していた私が、あっという間に夫のいないその環境に慣れた(エッセイ『第二の人生 秋』参照)。しかし慣れたのも束の間、今度は1年でまた環境は変化して、先々月10月に夫は職務を終え、今度は本格的に我が家に戻ってきたのだ。

現在28歳、25歳になる子どもたちが中・小学生の時からなので、実に12年間、家族・夫婦離れ離れの生活だったことになる。しかしこれから私たち夫婦は、もうず~~~っと一緒に暮らすのだ。

国際情勢が年々不安定になり、海外を転々としていた夫がようやく私たち家族の元に戻ってきてくれたことは、心からホッと安心し、本当に喜ばしくうれしいことだ。しかしストレス学の観点からみると、うれしいことや楽しいことも、ストレッサ―になりストレスを生む。どんなにうれしい環境の変化であっても、「環境の変化」というものは、やはりストレスになるのだ。

最初の1~2週間くらいは、これまでご近所の人生の諸先輩方から、「定年退職後、夫といる生活は大変」「単身赴任が長いと一緒に暮らすのはもっと大変」だと聞かされていたように、正直、何かしんどく息苦しい感じがした。

夫が連日自宅にいて、毎日台所に入り洗い物をし、家を掃除するようになると、台所の物の置き方、わたしの物の片付け方が気になるようだ。また一緒にいる時間が長くなると、テレビ番組の選び方見方から、ものごとの捉え方、コミュニケーションが“職場仕様”になっていることにも驚いた。これまでなかったコミュニケーション、見えなかったお互いの価値観、気づかなかったお互いの感覚の違いなど、それぞれの視点やこだわりに気づく。

しかし「なんで毎日毎日、竹ぼうきで(お隣との1mほどの)庭を掃く必要があるの!?」など細々と相手のやることについて疑問を持ったり、「無洗米はそんなに洗わなくていいって言ってるのに」と夫のやり方に腹を立てたり、「このお皿は、そこじゃない。ここになおして(しまって)」と意見をいったり、「もっとゆっくり食べろよ」と言われたことに、「だって、時間がないねんもん」といちいち反応したりしていては毎日やっていられない。

徐々にどちらからともなく、「きれいで気持ちいいわ」「おいしいな」と感謝を言葉で表わしたり、「そうやね」「ほんまやな」とお互い共感したりし始めた。わたしも意識して、声のトーンをちょっと上げて聞かれたことに答えたり、「私のこと心配してくれているんやわ」と思考を前向きに切り替えたり、「そうか、掃除=運動と思ってるんやな」と、ユーモアで捉えたり・・・。

こういうことがコーピング(ストレス対処法)であり、ストレスマネジメント(ストレスと上手に付き合うこと)に通じ、「一緒に暮らす」ということなのだろう。いつも研修や講演会で話していることの実践編の毎日というわけだ(笑)

単身赴任中の約12年間、わたしはこういう時期を視野に入れて文明の利器使って、遠く離れていても、メールやスカイプを通じてお誕生日や結婚記念日に言葉を掛け合い、子どものことや日々の生活についてコミュニケーションをとり、何気ない時間を一緒に過ごした。しかし現実は、それぞれ自分の世界で自分なりの価値観で生活をしていた夫婦である。やはり離れている時間が長ければ長いほど、生身の人間が「一緒に暮らす」という環境の変化への細やかな対応が求められるのだと実感している。

そんな中、夫はやはり生涯現役でいたいと、仕事を探している。夫に見送られて仕事に出かけていくのもなかなかいいものだ、と私は思っているが、夫は複雑な思いのようだ。時に、「俺は無職やから」「稼いでないからな」と自虐的に発言し、「助かるわ~」というと、「別に他にやることもないから」と拗ねたように言うのである。長年「仕事をする自分」というアイデンティティで生きてきたのだから、仕方がないかなと思って今はみている。

こうしてお互いの第二の人生は、春から秋、冬、そしてまた春へと巡ってきた。来年は、結婚生活32周年。いよいよ自立したおとな同士、それぞれの、そして夫婦としての、「第二の人生 新たな春」の幕開けだ! (2016年12月)

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