エッセイ
冬の日のかがやき/北原絵梨
この度、さまざまな偶然やご縁が重なり、フェリアンのスタッフとして迎えていただいた。
女性の生き方をめぐるさまざまな課題に向き合う仕事を始めて10年程になる。
振り返ってみると、10代の頃から女性としての自分自身も含め、数世代の女性の生き方を見つめながら、女性として、人として、生きるということについて、よく考えていたように思う。
そして心理の道へ進んでからは、出会いの縁が繋がり、職場を変わっても女性や子ども、様々な疾患や困難を抱える方と向き合ってきた。
それらは、女性や社会的に弱い立場の人への暴力、社会の中での貧困、母・妻・娘・嫁など多重の役割を背負いながら、それぞれの中で感じる女性としての生きづらさについて、共に悩み、葛藤し、時に喜びを共有しながら人生の一時を共に歩ませていただいた経験でもあった。
そしてまた今回、そのような職場の中の仲間から声を掛けてもらい、フェリアンへご縁を繋いでいただいたことに、不思議な必然性を感じている。
カウンセリングの出会いの中では、どのような人にも必ず生きるための底力とも言えるたくましさを感じる。
それは雪道を歩いているときに見かける赤い南天の実のようで、逆境の中でも存在感をもってかがやく、個々の回復の道を示す道しるべにも思われる。カウンセリングとは、その道しるべを共に辿る作業でもあったと思う。
人生には悲しい別れや複雑な別れ、時に生きることをためらうほどの痛みや苦痛を感じる経験をすることもある。
そのような時も、一人ではなく、共に歩む人がいることで、つらい時には一旦休み、泣いたり怒ったりする気持ちを味わいながら、少しずつ新しい自分らしさを見つけていかれる場面をたくさん見てきた。
共に歩むのは、家族や友人であることもあるし、カウンセラーであることもあるだろう。
私自身も、どんなに寒い冬の日にも、必ず空はあるように、どのような状況にも必ず希望はあることを経験し、信じている。
カウンセラーとして、また個人として、私もさまざまな経験をつみながら、今後もそのようなお手伝いをしていければと思う。
日に日に陽射しがやわらかくなる春の一日に。
(2018年3月)