エッセイ
体とのつながり/渡邉佳代
GWの1週間、SEトレーニングを受けてきた。昨年の春、秋とトレーニングを受け、今年は2年目を迎えて中級編に入る。
SEとは、ソマティック・エクスペリエンスを指し、それはそのまま「体で体験すること」である。私たちの体は生命を維持していくために、活動と休息というように交感神経と副交感神経が交互に働き、エネルギーの活性化と脱活性を繰り返している。それは波の満ち引きのようなリズムを描くが、圧倒されるような体験、すなわちトラウマとなるような体験をした人は、そのリズムが急なアクセルと急ブレーキのようになり、自分で自分の心身のコントロールがとても難しいと感じるようになる。例えば、オンとオフの切り替えがしにくいとか、過覚醒状態と鬱状態を行き来していると言ったように。ジュディス・ハーマンは、トラウマの中核は無力化とつながりの破壊だと言い、それに対してエンパワメント(有力化)とつながりの再構成が必要だと言っている。つながりとは、人や社会、世界とつながり直すだけではなく、自分自身の感情や感覚、自分の体とのつながりをも指す。SEでは、今、自分が置かれている環境——例えば、ソファに座り、目に映る窓辺のグリーン、窓から入る心地よい風や騒音という周囲の刺激を通して、自分の体がどう反応するかを見ながら、ゆっくりと体が体験することに身を任せて自然なリズムを取り戻していく(まだ勉強中の今の段階での理解だが)。
交感神経と副交感神経、活性化と脱活性化の自然で穏やかなリズムに身を置くことは、自分の体の感覚とつながり直す時間でもある。私はSEを学ぶにあたり、セラピストとしてトラウマ臨床に何とか役立てたいという思いもあったが、自分の体とうまく付き合うことへの関心もあり、昨年からその体験に驚きながらも楽しんで参加している。今はSEを使いこなすよりも、まずは自分の体について学び、自分の体のリズムを感じることを目指している。
この春に細々とした体の不調があり、体力も自分が思っている以上に落ちた。変わっていく自分の体の感覚に対するもどかしさや不信感、扱えなさ、自分の体が体験することに身を任せる不安とでも言おうか。体の変化にも伴い、気持ちもやはり硬く閉じていく。トレーニング中は、SEに関心を持つ人は、体とのつながりを大切にして、ゆったりとした自分のリズムを持っている人が多く、それには随分救われた。ゆったりとした体の使い方をする人と一緒にいると、硬くなった自分の体と感覚もほどけていくようだ。
印象的だったのは、自分がSEのセッションをクライエントとして受ける時のこと。セラピストと一緒だからこそ、恐る恐るではあるが、少しずつ自分の体の感覚に耳を傾け、それを信じ、自分のリズムに注意を向けられる。ふと自分のお腹に目が留まり、そこがふんわり温かみを帯びてくるのを感じる。右手は滑らかに、そして左手はぎこちない動きでその温かさを感じていると、不思議と体と気持ちが緩んでくる。
その時、自分の中に湧いてきたイメージは、滑らかな右手が自分のお腹の中にエネルギーを送り、ぎこちない左手はお腹からそれを受け取って、丸い円を描くように自分の体の中をエネルギーが循環しているということだった。変わっていく事柄や自分とは異なるものを通して、自分が与え、そして与えられているという生の営みの循環を思うと、じんわりと自分の中から何かが湧き上がり、自分を包み込むようなあたたかさを感じた。
体の体験を通して、自分そのものを受け入れ、信頼し、自分自身とつながり直すことは何と心地よく、大きなエンパワメントになるのだろう。体は頭で考える以上に、どうすればいいかを本能的に知っていると感心した体験だった。今はまだ、セッションを受ける中で自分の体験に目を見張ったり、体とつながり直していく感覚を純粋に楽しんでいる段階だが、これからは少しずつ臨床に活かし、役立てていきたいと思っている。そして、今回のセッションで感じた変化を自分の中で大切にあたため、その流れに少しずつ身を置いてみたい。
(2014年5月)