エッセイ
頭が下がる思い/津村 薫
フェリアンには毎日のように多くの講師依頼が寄せられ、複数の講師たちが講演・研修に出向いている。子育て支援者の研修、福祉職や医療職、教育職など対人援助職の研修、一般の方対象の講演、職員研修からボランティアなど対象も本当にさまざまだ。もちろんテーマも多岐に渡る。魅力的な実力派の講師たちを派遣できることはフェリアンの誇りだ。
https://felien.co.jp/lecture/さて、私が講師になって、もう24年。たくさんの場で講義をさせていただいてきた。こんなにインターネットが普及しても口コミの力というのはすごいもので、「〇〇で講演を聞いた(研修を受けた)。是非うちの職場(地域)にも」「講義がとても良かったという評判を聞いた」といったご依頼がたいへんに多い。
そこには、さまざまな場に足を運ばれる人がいたり、それを次に繋げようと動いてくださる方がいたり、誰かに「良かったよ」と伝えていただける方がいるからこそなのだ。こういう方たちのお力で自分の仕事は成り立っているのだなと常々思う。本当にありがたいことだ。手前味噌ながら、そのお声を丁寧に聞き取り、丁寧に依頼を受けてくれる事務局スタッフにも感謝の思い。
先日、私はある市に研修に出向いた。昔からお世話になっている市だが、終了後に懇親会があるという。「是非ご一緒に」と誘われ、お邪魔することにした。懇親会の会場に移動すると、そこにはその昔、もう10年くらい前になるだろうか。その頃に私に講依頼をくださった担当者さんがいらっしゃった。私のことをよく覚えてくださっていて、別部署ながら「おいでよー」と主催部署の方たちに誘われて、お忙しい身ながら、この場に来てくださったのだという。
初対面で私のボケにすかさずツッコミをしたというフレンドリーなお人柄も印象的だったけれど(ボケる私も私か)、私が印象に残ったのは、道案内のメールのわかりやすさ。まるで不案内な人にバッチリわかる説明をすることは容易なことではない。あまりにすごいなーと思って、当時それをお伝えした。それをきちんと嬉しい思い出として記憶してくださっていたというので重ねて感激。たくさんの講演・研修を主催される方とあちこちに出向く私。それぞれに記憶は上書きされていくだろうに、忘れられない思い出としてお互いに大切に感じていたことを共有できる喜びを味わった。感謝。
また、あちこちで私の研修を何度も受講してくださった子育て支援者さんも複数来ていらっしゃった。私たちが主催する研修にも何度も出向いてくださったり、広域での子育て支援者研修にも来てくださったりで、三度も四度もというご縁だった。普段は連絡を取り合うこともなく、会えば「お久しぶりですー!」「お元気ですか?」とご挨拶するという間柄。でも今回は、研修で学んだことを日頃の支援にこんなふうに活かしています、というお話をじっくりと聞かせていただけた。
講師は終了後のアンケートを拝見した後の後日談を聞く機会にはあまり恵まれない(最近ではFacebookやTwitterで繋がれたりすることも多くなり、生のお声に触れる機会が増えて嬉しい限りだ)。保護者に話しかける時に、何度か私の講義が思い出され、「あんなふうに言葉をかけられたらいいな」とイメージしながら支援をされているというお話を聞いて、私が元気をいただく思いだった。私の講義が温かい丁寧な支援をされている方たちの元気の一部になっているのなら、本当に嬉しく思う。
人の学ぶ力、変化する力というのは本当にしなやかですごいもので、こういう言葉を聞かせていただけるというのは講師冥利に尽きる思いがする。嬉しい記憶が温かいうちにと昨日の話を書いたのだが、私のありがたいご縁は決してそれだけではない。あちこちに私の講義を愛してくださる方たちがいて、温かいやりとりをできる方たちがいて、良い仕事をしようと日々励まれている方たちがいて、私もまたそこに刺激を受けて頑張ろうと思える。時々再会すればそれが嬉しく、またそれが励みになる。
こういう温かい繋がりがいくつもあることは、仕事を頑張ってきたご褒美のような気がしてならない。世の中には本当に偉い方たちがいる、見習いたいなと思う尊敬できる方たちがいることを、仕事は私に教えてくれている。
どこに出向いても、私の講義の終わりのお辞儀は最敬礼になる。講師としてのスキルアップをと長年ちょっとは頑張ってきたつもりだけれど、そんなものを遥かに超える、人の可能性の素晴らしさや温かさ、ご縁のありがたさに私は頭が下がる思いがしているのだ。(2014年7月)