エッセイ

父との思い出/下地久美子

 父が他界して、ちょうど1年になる。3年前に、血液の癌にかかり、余命3年と言われていたので、別れる日が近づいていくことはわかっていたが、どこかで「そんな余命宣告なんて、ハズレるんじゃないの?」という楽観的な気持ちもあった。

亡くなる3カ月前ぐらいまでは、貧血で体がだるいと言いつつも、普通に生活していたし、父が病気であることを、普段は忘れているような感じだった。

しんどがっている父に、「体を動かさないと、体力が落ちて、余計に悪くなるよ」と、お見舞いに行くたびに叱咤激励していたのも、思い返すと、ずいぶん酷なことを言っていた。

 よく、身近な人が亡くなると、「亡くなったなんて信じられない。またひょっこり帰ってくるような気がする」と言われることがある。父が亡くなってから、なぜか、そうは思えず、父が逝ってしまったということにリアルな重みがあり、もう父とは二度と会うことも話すこともできないんだということを、頭でも体でも感じていた。

でも、それは、ものすごくつらいとか悲しいというのではなく、父が人生を全うしたように思えたし、抗がん剤に苦しむことも、痛い採血もなくなって、これからは、父は心の中で生きていくのだなというのが、す~っと入ってきたような気がする。

 父のことを思い出すと、不思議なぐらい嫌な思い出というのがない。どちらかと無口なタイプなので、親父ギャグを言ってみんなを笑わせるということもなかったが、声を荒げて怒るということもなかった。いつも穏やかで、優しく、私たち母と娘がにぎやかにおしゃべりに興じているのを、半ばあきれたように見ていた。

 父から受け継いでいると思うのは、「本が好き」ということだろう。私もそうだが、父も、本がなければ生きていけない人で、いつでもどこでも5分でも空き時間があると、本を開いていたのを思い出す。よその家に行くと、その家の本棚が無性に気になって、つい本棚を見てしまうというのも、父と私の共通点で、そこのところは、本当に似ていると思う。

しかし、本の趣味は、全く違っていた。私からすると「なんで、こんな本が面白いんだろう?」と思うような歴史書とか、戦争ものとか、そういうものが好きだったようで、最後に、父に頼まれて、病室に持っていった本は、保阪正康『陸軍省軍務局と日米開戦』だった。

 父が亡くなって、困ると思ったのは、「確定申告」である。毎年、2月になると、私の確定申告をしてくれていて、すべてお任せだったので、父がいないと皆目わからない。でも、他にやってくれる人もいないので、今年の2月に初めて確定申告に挑戦してみた。すると、確定申告関係書類を入れたファイルから、父の手書きの、小学生でもわかるような丁寧なマニュアルが出てきて、それを見たときには、何も言わないけど、私のことを心配してくれていたんだなと、涙が出た。

 どんな頼みごとをしても、嫌な顔ひとつせずにやってくれて、それを当たり前のように思っていた。反対に私からは、ろくに親孝行らしいこともしなかった。たまに母が旅行で留守の時に、料理を届けてあげたりすると、ものすごく喜んでくれた。

今、こうやって書いていると、父からは、もらってばかりで、何も返していないなと思う。でもおそらく、父は、そんな私を、「わがままでしょうがない娘やな」と笑って許してくれるだろう。

(2014年7月)

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