エッセイ

継続は力なり/森﨑和代

わたしが朝の30分ウォーキングを始めたのは、今から14年ほど前の2000年春。理由は、身体の変化(実は老化)に気づいたからだ。それまで私の身体は、“秋から冬に向けて脂肪を蓄え、春から夏にかけて元に戻る”という自然の摂理にかなったパターンを繰り返していた。

それが加齢とともに基礎代謝が悪くなったのだろう、春になっても夏になっても体重が減らない。「体重が戻りにくくなったなぁ」と思いつつ、数年は気にせず過ごしていた。が、やはり身体が重い。だんだん体の重さが不快になってきたからだった。

「中年になったら当たり前、小太りぐらいでちょうどいいねん」と人は言う。「そりゃそうかもしれんけど、わたしには今のこの身体の重さはやっぱり落ち着けへんねん」。という感じだった。

同じ頃、駅の階段を上ると足がだるい、駆け上がると息切れが続き、基礎体力が落ちてきたことも感じていた。そして極めつけは、初めての人間ドックでコレステロール値が高いと言われたこと。これは自覚症状がなかっただけにショックだった。運動不足も原因のひとつだと聞き、真剣に対策を考え、いろいろ考えた末行き着いたのが朝のウォーキングだった。

「やらねば!」「でも、続くかなぁ?」と、不安に思いつつ、結局、私はがんばらなかった。

だが、肩に力を入れすぎなかったのがよかったのか、自分の不安をよそに、朝のウォーキングは今も続いている。「今日は時間がないからやめとこう」「しんどいからパス!」「雨が降りそうやから、いややなぁ」何だかヒンシュクをかいそうな、ええ加減さで・・・(笑)。

しかし私は気がついた。確かに歩きたくないときはある。だが、歩きたい!と思うときもあるのだ。

わたしは決めたことができないええ加減なヤツなのではなく、疲れている自分に正直なだけなんだ。そう思ったおかげで、自分のペースで歩くことの気持ちよさを知り、生活の中でもこまめに歩くようになった。

気がつくと、身体の症状は解消され、おまけにウォーキングは精神面にもプラスだった。

春は、私の大好きな雑草たちが道端で可愛い花を咲かせている。田植えの頃はそのみどりの美しさに目を奪われ、心が洗われる。梅雨時、家を出たら雨とともに現れた大きな虹に思わず合掌。夏はザリガニを探したり、カブトエビを見つけたり。秋には、大好きな田んぼに見事に実った稲の成長に涙。冬一人歩きながら、人知れず怒ったり、思い出し笑いをしたり、幸せで胸がいっぱいになり涙が出たことも。ウォーキングの時間は、わたしにとって大切な時間となった。

思えば14年前といえば42歳、更年期の入り口、身体の変調の時期だったのだろう。しかし56歳の今、コレステロールは健診で引っかからなくなり、適性体重も保てている。小まめに歩く習慣は今も続いていて、駅では階段を上がるし、エスカレーターを使うときも歩いて登る。お蔭で年齢は上がったのに、階段を上がるときの足のだるさはそう感じなくなったし、階段を駆け上がっても息切れが続くということもない。また、駅まで自転車ではなく歩くようにもなったので小さな季節の移り変わりを見つけてはiphoneで写真を撮り、フェリアンのfacebookで近況をアップするときに役立っている。なかなかやるやん~わたし(笑)。

最近、年を重ね今また新たな心身の変化を感じている。しかし、気持ちの切り替えも上手く早くなり、今ではこの変化を受け入れ、最近ではストレッチや運動、リンパマッサージなどを日常に少しずつ取り入れながら、うまく自分と付き合うべく対策に奮闘中である。

継続は力なりと言われるが、さあ10年後、この対策もまた新たな自分の力となっているだろうか。10年後のわたしを楽しみにしておこう。(2014年8月)

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