エッセイ

旅/渡邉佳代

 人が旅に出ようと思う理由は、おそらく人の数ほどあるであろう。だが、人がかつて旅をした場所を再び訪れたいと思うのは、どんな時だろうか。

 先日、ちょっと無理をすれば、数日まとまった休みが取れることに気づき、急遽、思い立ってバリに行ってきた。バリは7年前に初めて訪れ、そのダイナミックな自然と、善と悪などの対立するものが共存するバリ・ヒンドゥーの世界観に感銘を受けた(『白と黒と赤の世界』)。今回、何故かバリ舞踊の1つであるケチャをまた見たくなったのだ。

 私が以前見たのは、ウブドのパダン・トゥガル集会所でのケチャだ。ケチャは元々、儀礼舞踏がベースとなっていて、オランダによる植民地以降、1930年代にドイツ人の画家シュピースによってインドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』の物語が取り入れられ、観光客向けの舞踏劇として再構成された。

バリは舞踊の他にも伝統芸術が盛んだが、その多くは植民地時代以降に生み出されたものである。対立するものや支配されるものに、ただそのままやられたり、跳ね返すだけではなく、相手のよいところを上手に取り入れ、自分のものにしていくそのしなやかさは、バリ・ヒンドゥーの善悪を超越した世界観によるのだろうか。

ケチャは、腰に白と黒のギンガムチェックの布を巻いた100人近い半裸の男たちが、「チャッチャッチャ」という合唱によって独特なリズムを刻み、集団トランスに入っていくものである。少し調べてみると、そのルーツは疫病が蔓延した時に、祖先の霊を招いて加護と助言を求めるものであったという。

現在のケチャのストーリー構成は、その舞踏団によって多少異なるというが、私が7年前に見たパダン・トゥガル集会所のものは、かなり原型に近く本格的な構成で、少女たちによるトランス・ダンスやファイヤーダンスも含まれる。また、その集会所の舞台装置も素晴らしかった。野外での満天の星空の元、かがり火が人々の顔を妖しく照らし出し、パッツリと左右対称に割れたバリ独特のゲートを背景にする。

100人近い男たちが掛け声とともに左右に分かれ、独特なリズムの掛け声が次第に高まっていく中、対立するものが波のように互いに押し合い、へし合い、次第に人間曼荼羅のように大きな円になり統合されていく。それをぜひ、今、見たい!と思い、無理を押してウブドに向かったのだが、パダン・トゥガル集会所でのケチャの開演日は、残念ながら"WE'RE CANCELLED"の札がかかっていた。

バリは年がら年中、お祭りをやっているのだが、その日はクニンガンのお祭りの日だった。家々や村の寺院に迎えた神々や自然霊、祖先の霊を家族や村の人たちと寺院に送りに行く日だという。日本でいうお盆にあたるであろうか。ウブドは特にバリ・ヒンドゥーの信仰が強いようで、いつもは観光客でいっぱいなのに、この日は店がほとんど閉まって、人気がなくなり、ウブドの人たちは各家庭で家族との時間を大切にするという。

ちょうど、村の人々が誇らしげに先頭にバロンを掲げ、様々な楽器を奏で、正装をした赤ちゃんから年配の方まで、笑い合い、おしゃべりをしながらお寺までパレードをしていくところに出会った。おそらく村中の人々がパレードに加わっているのであろう。そのパレードは10分ほど続いた。7年前に見た、あの荒々しく統合されていくダイナミックなケチャを求めてウブドに行ったが、今回は思いもかけず、家族を迎え、送り出すという、賑やかであたたかな家族とコミュニティのつながりがこの旅のテーマとなった。

ケチャを目当てにしていっただけに残念でならなかったが、ダイナミックな自然には心身が十分満たされた。朝は鳥のさえずりで目を覚まし、夜はヤモリの鳴き声に耳を澄ます。緑が深く重なる山々に囲まれて、密度の濃い、色んな生命と気配が蠢くバリの空気を体いっぱいに吸い込む。ブーゲンビリアの花々、夜道の大きなガマガエル、プールサイドの大きな蟻の行列。青くてどこまでも続きそうな空を眺めながら、冷たいプールにぷかぷか浮かんでいると、体に穏やかにエネルギーが満ちてくるのがよく分かる。

よく人生は旅のようなものだと人は言う。だが、旅もまた人生の縮図のようであり、人々はその旅の深くて濃い時間の中に立ち止まり、感じ、体験し、そこから何かしら生きていくためのヒントのようなものを得たいと思うのかもしれない。この先の7年は、どんなものになるのであろうか。私が今回得たものが何だったのかは、もう少し時間をかけて見出してみよう。そんなことをぼんやりと思いながら帰路についた。

(2014年8月)

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