エッセイ
引き算を意識した生き方/窪田容子
生き方を考える講座や、カウンセリングの中で、未来のこうありたいと思う自分の姿をイメージしてもらうことがある。そこから気づきを得たり、具体的にイメージすることでありたい自分に近づきやすくなるからである。
数か月前、ある講座の講師を務めていたときに、参加者のみなさんに、1年後、5年後、10年後・・・、未来のどの時点でもいいので、好きな時期を設定してもらい、ありたい自分はどんな風に暮らししているのかを、具体的にイメージしてもらうワークを行った。しばらく時間をとって、目をつぶって、イメージの世界を楽しんでもらいながら、私自身も、未来のありたい自分をイメージしてみた。それから数か月たった今、その時イメージした自分に、少しずつ近づいていることに気づく。
ただ、あと少し、ありたい自分に近づけない要因は、忙しくて時間が足りないことだ。今の暮らしの中から、何かを減らしていかなければ、ゆとりは生まれない。
人生の前半は、足し算的な生き方が中心だったように思う。子どもの頃から好奇心が旺盛で、行ったことがないところに行ってみたい、したことがないことをしてみたい、知らないことは知りたい、挑戦したい、成長したいというのが大きなモチベーションになってきた。人生の前半の生き方は、それでよかったのだと思う。
そして、今の忙しい暮らしも、そう悪くはないと思っている自分もいる。やりたいことがたくさんあって、大切なこともたくさんあって、一緒にがんばったり、応援してくれたりする仲間もいる。「大変だぁー」と言いながらも、笑いあって、励ましあって、忙しくとも充実した時間を過ごしている。人とのかかわりの中で、また意欲が生まれ・・・、足し算というより、掛け算になっているかもしれない。
その一方で、人生の折り返し地点に立ち、人生の有限性や残り時間が、否応なく意識に上る年齢になり、引き算的な生き方が頭をかすめるようになってきた。これからも、おそらく、好奇心を持って学んだり、挑戦したり、成長したりすることや、人とのかかわりの中で影響しあうことは、私にとっては何かを行うときのモチベーションとなり続けると思う。しかし、何かを足すのなら、何かを引くことも同時に意識していきたいと思っている。何かを引いて、余裕が生みだすことで、自分にとって本当に大切なことを、もっときちんと大切にしていきたい。
足し算は得意だけれど、引き算はまだ新しい教科書を開いたばかりの初学者の気分。悩んだり、迷ったり、失敗したりしながら、引き算も上手になっていけたらいいなと思っている。
(2014年9月)