エッセイ

せんせい/安田裕子

先日、中学校の頃にお世話になった恩師のところに、近況報告がてら、挨拶にうかがった。中学校3年生になるのを目の前に、とてもよい塾ができたと耳にして行ってみた説明会で目に映る、眼光鋭い、なんだかとても勢いのありそうな、血気あふれる若い塾長。それが、先生との最初の出会いであった。

当時、その塾は、実績と評判を得て規模を拡大する流れのなかで、ふたつ目の教室を、私の住む街につくろうとしているところであった。新しい塾舎ができあがるまでの間は、パチンコ店が1階にはいっている建物の2階の小さな部屋に、仮の教室がもうけられた。♪ジャンジャン ジャカジャカ♪鳴り響くパチンコ店のバックミュージックとアナウンス音が漏れ聞こえ、振動すら感じられるような、そんな一風かわった教室。じきに、新しくできた校舎に移転することになったわけだが、そんな騒々しくさえあるように思える音もまた、関西ノリ?満載の、学びの内容の深く濃ゆ~い少人数制の授業においては、私たちのやる気を引き上げる楽曲のようですらあったことが、懐かしく思い出される。

そんな場でスタートした、目標を共有する仲間と先生ともに、果敢に挑んだ一年間。受験勉強をする、ということに決してとどまることのない、たくさんの思い出が、私の身体にしみこんでいる。高校の入学試験が終わった後の、ご自宅に招いてくださっての祝賀会をはじめ、大学生になってからも、時に、みんなで集まる機会をつくっては、お好み焼きを食べに行ったり、京都北山にバーベキュー&ボーリングに行ったり。大学を卒業すれば、それぞれの活動の広がりもあり、みんなで集まることも次第にむずかしくなっていったが、先生とは、街中でバッタリと出くわす機会に恵まれたりしながら、連絡をとってきた。

その間、先生にも私にも、それぞれに挑戦的なプロセスがあったが、現在は、とある中高の校長をされている先生。ご挨拶には、その職場に寄せていただいた。ひとしきり話をした後には、生徒さんたちが学ぶ学舎を案内してくださったのだが、そこで垣間見られる、先生の生徒との関係性。友達か?!と思われるような、普通はあまり目にしなさそうな校長-生徒の関係が、目にとびこんでくる。当時、私たちを、ノリと冗談と叱咤激励でもって熱く関わってくれた先生の姿が、目の前の光景に重なるかのように、ありありと思い出される。教育者である先生の、生徒たちへのこうした関わりが、程度の差こそあれ、彼/彼女らの記憶に、将来に、影響を及ぼすものとなっていくのだろうと、思わずにはいられなかった。

初めて出会った時の、私が中学生の頃の先生の年齢を、いつしか超えてしまっている私自身もまた、今、さまざまな有り難い巡り合わせのなかで、教育に、対人援助に、関わる仕事をさせていただいている。今後を生きる若者たちに、子どもたちに、どのように関わり、どのような存在となっていくことができるのか。決してわすれることなく、自らに問いかけていきたいことである。

(2014年10月)

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