エッセイ

人生の昼下がりに思うこと/下地久美子

年末に、76歳になる母が、高いところにあるものを取ろうと椅子にのぼって手を伸ばしたところバランスを崩して転倒し、頭を強く打ったと、ものすごく弱々しい声で電話してくるので、慌てて実家にかけつけると、見たこともないほど大きなたんこぶができていて、急いで救急病院に付き添った。痛みはあるけれど、意識はしっかりしていたので、CTを撮ってもらい、しばらく様子を見ることになった。「今は大丈夫でも2~3ヶ月後に、おかしな言動があったりすることもあるから十分に気をつけるように」と医者に注意され、ビクビクしながら過ごしていた。今のところ、おかしな兆候はないので、もう大丈夫かなと母とも話しているが、もし打ち所が悪かったら、大変な事になっていたなと、血の引く思いをした。

ここ最近、友人との話の中でも、親の病気や介護に関する話題が増えてきた。誰もが平等に年を取るわけで、避けられない道ではあるけれど、昔はしっかり者で通っていた友人のお母さんがめっきり弱ってきたという話には胸が痛む。「実家で冷蔵庫の掃除をしたら、豆腐が7個も入っていた」とか、「洗剤を入れずに洗濯機を回している」とか、「スカートの裾上げを頼んでいたら、間違って捨てられていた」など。

そういう私自身も、人の名前が出てこないのはしょっちゅうだし、ソースを切らしていたと思って買ってきたら、すでに買っていたなんてこともあって、笑えない気分になる。そんな話をすると、大なり小なり、同世代の友だちは、みんなそうだというので、「私だけじゃないし、しゃ~ないな」と、開き直っている。

親の介護と同じぐらいよく出る話が、ペットの老化だ。犬もおしめをしたり、下の世話が大変だというのを聞く。うちにも17歳になるミニチュアダックスがいる。犬の年齢は、人間に換算すると7倍というので、「え~、もう119歳!」とびっくりしたが、ネットでみると、犬の大きさによって違うそうで、小型犬だと約5倍の84歳だった。それでも高齢には違いなく、犬好きの友だちからは「この先はいつお迎えが来ても大往生だよ」といわれたが、お別れする日が来るのかなと思うと、今から泣けてくる。

といっても、耳が遠くなったり、目や歯が悪くなったりはしているものの、散歩にも行くし、トイレも自分でするし、まだまだ大丈夫と思いたいが、たまにドッグフードを食べなくなるときがあり、いつまで元気でいてくれるだろうと気にかかる。

17年前は、子どもたちもまだ小学生だった。それからいろんな出来事があって、そういう我が家の歴史を、この子(犬)は、ず~っと見てきたんだなと思うと、なんだかしみじみとした気持ちになる。

ついこないだまで、子どもの習い事がどうとか学校がどうとかいう話が友だちとの会話の中心だったのに、子どもも成長して手が離れると、今度は親の介護と犬の話だなぁ~というのが、せつないような、ほろ苦いような。でも、生きていくって、そういうことだよねって、思う。そうやって順番に世話をしたり、世話をされたりしながら、人生は続いていく。だから、今のこの時間を大切にしたい。 (2015年1月)

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