エッセイ
世代を超えて/森﨑和代
娘が、来月招かれている幼なじみの結婚式に、「振り袖」を着て出席したいので準備しておいてという。
あら大変!準備しなきゃと思っているところだが、実はこの「振り袖」というのは、わたしの成人式用に、能衣装の模様ということで珍しい色合いや柄行きが気にいり、親に買ってもらったもの。
思い起こせば、私は自分の成人式はもちろん、友だちの結婚式にも何度か着て参列し、さらには自分の結婚式の披露宴でも着用した。
そういえば海外で式を挙げた5歳下の妹も、披露宴のお色直しではわたしの「振り袖」を着ていた。
そして娘も、成人式前どっさり送られてきたダイレクトメールの現代風な貸衣装には目もくれず、わたしの「振り袖」を着た。さらにはわたしの弟(叔父)の結婚式にも、この「振り袖」を着て出席した。
そして今回、6年ぶりに登場するこの「振り袖」、なんと36年間にわたり大活躍だ!
この後も、どのように世代を超え受け継がれていくのか楽しみでもある。
このように着物は、一生ものどころか、世代を超えて受け継がれていく日本文化のひとつだ。でも、わたしには残念ながら娘に着せてやる技術がない。20代後半に、着付けの師範の資格を取り、当時は15分で小紋の着物を着た実績があるにもかかわらず。
技術というものは、やはり使わなければ忘れてしまうんだなと、ちょっとがっかり。
子どもの頃にできた逆上がり、学生時代に楽しんだスキー、そういえば車の運転ももうだめかな・・・。あら~、なんだか暗い話になってきた(笑)
でも!必要がないんだから忘れて当たり前。できなくなる子もある。そして忘れることがあるから、また新しいことを取り入れることもできる。
しかし、世の中には決して忘れてはいけないこともある。世代を超えて受け継いでいかなければならないものもある。今、世の中の動きを見ていてそう思う。 (2015年2月)