エッセイ
目下奮闘中③-春が来た!/渡邉佳代
ようやく待ちに待った春が来た!秋に出産したので、子どもがちょっとしっかりしてきても、寒い日はなかなか外に出られずに、長い冬を家の中で過ごした。「春になったらお花がいっぱい咲くのよ」とか「あったかくなったら、たくさんお散歩しようね」とか、子どもに話しかけながら(半ば自分を励ましながら…)、憧れ続けた春!
前回のエッセイまで、仕事と子育ても宙ぶらりんのような焦りがあったが、焦っても仕方がない。自分の身は1つだし、宙ぶらりんなりにも自分にできることは精一杯しているつもりだ。自分がこれからどこに行きつくのか分からないけど、今、せめて目の前のことを精一杯やっていれば、それなりに流れは生まれるだろうし、その流れに乗ってみよう、「今ここで」に集中しよう!…と、腹をくくるようになったら(もちろん、腹をくくれずにジタバタする日もあるけど)、ふと肩の力が抜け、気が楽になった。
あたたかくなってから、天気と調子の良い日は、ちょっとずつ気の向くままに近所のお散歩を始めた。買い物がてらに商店街をぶらぶら。豆腐屋さんにお魚屋さん、パン屋さんにお惣菜屋さん…色とりどりの店先の品物を目で楽しみながら歩く。ある日は、サンドイッチをお弁当に公園のお花を目と鼻で楽しみながら。ある日は、図書館の絵本の読み聞かせのお楽しみ会へ。小さなお姉さんたちに交じって、興味深々に参加する娘と一緒になって、懐かしい絵本を楽しむ。ある日は用事のために銀行、郵便局、区役所…とバタバタ渡り歩く。
赤ちゃんを連れて歩いていると、声をかけられることが多い。「今、何ヶ月ですか?」「わぁ、お母さんのこと、よく見てるのね」「うちにも孫がいてね」などなど、そこから会話が生まれることもある。時には、小さなお姉さん・お兄さんたちから、「赤ちゃん何歳?」「男の子?女の子?」なんて、声をかけられることも。そうしたささやかな出会いや会話も心地よい。今までだったら、生活の中で関わり合ったことがないような世代の人たちと、ふとした時に声を交わせるようになったのは、娘のおかげかもしれない。
田舎育ちの私も夫も都会住まいとは言え、街から切り離された生活はしたくないと思い、古い街並みと商店街が残る地域に住まいを選んだものの、これまではせかせかと夕飯をかき込んで、夜遅くに眠りに帰ってくるような生活をしていた。この頃、昼間に少しずつ外を出歩くようになると、街にも生活のリズムがあることに気づく。豆腐屋さんでは夕方にはもう豆乳は売り切れているし、魚屋さんも店じまいを始める。思えば当たり前のことなのだけど、コンビニで買い物をする昼夜のない生活に慣れていると、そんなことすら新鮮で発見に満ちている。
目下奮闘中。「今、ここで」に集中する。とりあえずでも、今、目の前のことを一生懸命していれば、大きく間違った流れにはならないだろう。今が精一杯なのだから、先々のことはほんのちょっと横に置いておこう。日々の中のほんの小さな発見を楽しみ、「今、ここ」に自分がとどまって、「今、ここで」起こることを興味深く体験してみよう。
これはおそらく、子どもの「今、ここで」のあり方と重なるだろう。子どものリズムに合わせるようになると、今を楽しむという余裕が少しずつ感じられるようになってきた。余裕ができると、子どもとのやりとりも俄然、面白くなる。うんうん、いい感じ!…と思っていた矢先に、春の寒暖の差から夫が風邪をひいてしまい、あれよという間に、私、子ども、また夫…と風邪ひきのリレーが始まってしまった。
産後に体は変わるよと言われていたものの、思いのほか、治りが悪くて、いつまでもぐずぐずとしている。せっかくお散歩も楽しみ始めていたのに…とガッカリだが、親子3人風邪ひきで、せっかくのお天気の週末を家で過ごすことも面白がってみよう。春はまだ来たばかり。1つずつ、ちょっとずつ、ゆっくりと丁寧に。時には、行ったり来たり、できたりできなかったり。そんな生き方を子どもから日々、教わっている。
(2015年4月)