エッセイ

平和を守り抜く-終戦70周年を迎えて/おだゆうこ

この夏、リュックに荷物を詰め込んで、電車を乗り継ぎ、子ども達と広島平和記念資料館を訪れた。

私の実家は福岡なので、小学生、中学生、高校と広島、長崎に原爆が落とされた日のいずれかが、登校日となり、平和学習の機会を否応なく得ていた。8月9日長崎に落とされた原子爆弾は、実は北九州市の小倉軍事工場に落とされる予定になっていた。当日の小倉上空は雲に覆われていたため、予定を変更して長崎に落とされたという話は、幾度となく聞かされた。「もし、小倉に落ちていたら、私たちの命もなかったかもしれない・・・」と。

そういった話は、言いようのない不安と恐怖と長崎の人に申し訳ない罪悪感とが入り混じった、なんとも言えない気持ちとともに語り継がれてきたように思う。

原爆の生々しい映像、その後の人々の写真や語りを初めての聞いた日には、怖くて怖くて眠れなかった。夜寝ようとして目を閉じると、原爆が投下されるのではないかと言う不安、学習会でのリアルな映像がフラッシュバックし、布団から少しもはみださないように、『そうしたらきっと大丈夫』と自分に言い聞かせて、布団をすっぽりかぶって眠ったことを今もはっきりと覚えている。

あまりに大きすぎる戦争の傷跡と、整理も消化もされ得ない、表しようのない感情を一気に目撃し、感受性が強かった私には平和学習自体がトラウマになってしまった感があるため、子ども達を資料館に連れていくのは、平和学習の意味づけができる小学校高学年くらいになってからがよいようにも思い、躊躇していたが、終戦70周年の節目と今日の情勢を踏まえて、自分にとっても今一度、戦争と向き合う、そして平和を守り抜くための一歩を踏み出すよい機会になるのではないかと、家族全員で行くことにした。

平和記念資料館は、想った以上に人が多く、長蛇の列だった。外国人が多い事も印象的だった。私は3年生になる長女と一緒に回ったが、熱心に展示物を見て何が起きたのか、なぜ原爆が落とされたのか、興味をもって2時間以上かけて回った姿に驚いた。その後、平和記念公園に向かうと、川内原発再稼働反対メッセージを平和公園から発信している人たちとも出会った。

黒い雨(強い放射線を含んだ雨)の影響による闘病生活の末なくなった貞子さんのお話しから始まったという千羽鶴の塔には、全国から平和への想いが形となって寄せられていた。

平和の鐘を鳴らした時、優しい気持ちだけでは、平和への願い、祈りだけでは、平和を守り抜くことはできないのではないかという気持ちがこみ上げてきた。資料館から発信される戦争の声は、とてつもない恐怖、不安、苦しみ、怒り、絶望、罪悪感・・・感じきることはできない(シャットアウトしたくなる)生々しい感情の塊だった。戦争と言うのは、こういうことなんだとしっかり刻み込まないと、人はまた愚かにも目先の利益に飛びつき、どの国もやっていることだと、社会的、世界的風潮に流され、同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。シャットアウトしたくなりながらも、戦争があった70年前の事実と向き合っていかねば、子ども達の平和を守り抜くことはできないと初めて、自分が平和を守り抜く責任を担っていることを実感した。

帰宅後、長女に「もし戦争が起きたらどうする?」と話をした。すると、「戦争なんてあるわけないやん。昔の話で、遠い所であったことやろ」とケロと答えた。資料館で熱心に学んでいた様子は、自分とは全く関係のない出来事としての学習の機会だったようだ。今の自分たちの生活から戦争について考えること、そこから平和を守り抜く必要性を心底感じることは、本当に難しい。一度きりの体験では当然のことだろう。平和を守り抜く強い気持ちをどのように育み、受け継いでいくことが出来るのか、私自身の課題なのだと思い知らされた。

終戦70周年を迎えた8月15日、長女は夏休みの宿題に取り組んだ。広島で原子爆弾について勉強したことをパンフレットにまとめるそうだ。最後のまとめに「私はいまは、とても平和だとおもいます。水もあるし、クーラーや食べ物もあるからです。お母さんに、『もしせんそうがあったらどうする?』と言われて、『本当にせんそうがあったらどうしよう』と考えてみたら、こわくてなきました。私はもう本当にせんそうがあってほしくありません。」と力強く書いてあった。私と話したことで、あるはずがないと思っていた戦争が、もしかして起るのかもしれないと思ったことで、一気に不安と恐怖が押し寄せてきたようだった。「そんな怖いこといわんといてー」と泣き出した姿をみて「かわいそうなことをしたな・・・」と、勇み足になってしまったことを反省する反面、それ以降、戦争のテレビや話しを注意深く、見聞きするようになっている姿を見ると、やはり必要な経験であり話であった様にも思った。今回の広島旅行をきっかけに、繰り返し戦争のテーマと向き合っていくことが、私にも子ども達にも必要なのだと思う。

30年後、終戦100周年を無事に迎え、次の世代にも平和を守り抜く決心を受け継いでいけるように、一歩を踏み出そうと思う・・・。(2015年8月15日)

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