エッセイ
感受性を生かして生きる!/おだゆうこ
感性という言葉に出会ったのは、小学校高学年のころだっただろうか?
ピアノの先生とあれこれと話をしていた時に、「裕子ちゃんは初めて会った時から感性がカーンと出てたもんね!」という話から、「感性?感性って何?私って感性が強いの?」と初めてきく言葉とその響に魅せられた。
かんせい【感性】とは。1 物事を心に深く感じ取る力。感受性。「― が鋭い」「豊かな―」2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。(国語辞書ーgoo辞書より引用)
カウンセリングの中でも、クライエントさんの感性、感受性がテーマになることがある。「幼い頃から感受性が強すぎて、生きて行きにくかった」という感じて語られることが多いが、クライエントさんの感性に触れることは、私にとって喜びであり、実際にクライエントさんは素晴らしい感性を持っている。
感受性が生きづらさと結びついているのは、人が気づかないような(もしくは見ないふりができる)外界からの刺激を細やかにキャッチしたり、素晴らしい感度でキャッチするため、絶え間ない不安や引っかかりにとらわれたり、悲しみや傷つきは人一倍深く刻み込まれたりするからだろう。しかし、嬉しいこと、美しいもの、小さな変化に幸せをみいだす感度も抜群のはずだ。感受性が強いということは、自分を取り巻く環境側からの影響を受けやすいともいえる。どんな環境に身を置くのか、どんな人とつながっていくのかも重要となる。しかし、同じく感受性の強い人と繋がるのがいいともかぎらないのが面白いところだ。
そして、一番感動し、共感するのは、表現はそれぞれ異なるけれど、どの方も感受性の強さを煩わしく思うことはあっても、「決して鈍感な自分になってしまいたいとおもっているわけではない」ということが伝わる瞬間だ。些細なことで葛藤したり、傷ついたり、そんな自分を否定してしまいたくなるけれど、豊かな感受性は否定しきれるものではなく、それが自分らしさだとどこかで引き受けていることが分かる瞬間は、その人の感受性が輝きを放つ瞬間だ。
私の娘もまた感受性が強く繊細だ。小さい頃から全身全霊で泣き、なかなか寝付いてくれなかった。一方、嬉しいことがあれば天まで舞い上がり、三日月目の笑顔は昔も今もピカイチの輝きを放つ。家庭生活が中心となっていた時期までは、ほんとに毎日楽しそうで羨ましいくらいだったが、小学生になり、学年があがり、生活の中心の場や重要な他者が変化していくにつれ、友人関係で悩むようにもなった。
繊細であるがゆえに、相手に思いをぶつけたり、言い返したりしながら、解決していくより、我慢して、自問自答し、自分で引き受けがちになる。悩みを抱えられるようになるのも、成長であり、大事な力ではあるが、ぶつかって、傷ついて、たくましくなる機会を逃して欲しくはないとも思う。自分だけの努力や我慢だけでは、身につかない力があり、生身の人間とぶつかることで得られる手ごたえや実感は、他者への、世の中への信頼を通した確かな自信となる。人とぶつかることを避けていると、臆病になり、人とぶつかることがますます怖くなる。勢いと慣れがある意味大事なのかもしれない。
繊細な感受性を生かして生きるためには、きっと、強さも必要なんだと思う。揺るがない強さではなく、しなやかな強さが。
そして、しなやかに強くなるためには、自分と異なる人たちと出会い、知っていくこと(ぶつかることと、受け入れていくこと)が重要になる。
その中で自分の感性が時に役に立ったり、時に否定されて傷ついたり、それもこれも自分らしさだと人との間で認められ、赦され、自分を受け入れられた時、感受性を生かして生きていく道がみえてくるのかもしれない。
私も辿ってきた道であり、長女に出来ないはずはないと信じているが、自分のことより子どものことの方が、忍びがたく、早く解決して欲しいと焦ってしまう。しかしながら、娘の人生はまだまだ始まったばかり。
8歳にして、アンジェラ・アキの手紙~拝啓十五の君へ~がテーマソングである娘へ
♪いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど、笑顔を見せて今を生きていこう!
感受性が強く感性豊かな娘、そしてクライエントさんや私自身の成長がこれからも楽しみだ。
(2015年12月)