エッセイ
幸せって… / 桑田道子
いろんな偶然が重なって、コペンハーゲン(デンマーク)に旅行することになった。
北欧は高福祉国家であることや広大な自然がよく知られているし、日本でもインテリアや家具、食器、テキスタイルなどなど人気が高い。社会保障法ゼミに所属していた学生時代には、北欧の高福祉国家としての調査報告を聞く機会も多く、イギリスの「ゆりかごから墓場まで」をもじって「胎内から天国まで(安心して暮らせる)」をスローガンに、国が国民に社会保障を提供する政策基盤とされていることに関心をもっていた。が、なぜかスカンジナビア半島はそれぞれ旅行したことがあったけれど、デンマークは飛び越してしまっていた。
さらにデンマークは、2012年から調査研究されている国連がサポートする『世界幸福度報告(WORLD HAPPINESS REPORT http://worldhappiness.report/)』で2013年発表では156ヵ国中1位、2015年発表では158ヵ国中3位と報告されている。なおのこと、どんな暮らしなのだろう?と興味がわいた。
この『幸福度報告』は、「国民の『主観的』幸福度のランキングなので意味がない」と批判されていることも聞くが、ランキング結果に、代表的な経済統計(一人あたりのGDP)や、健康寿命、コミュニティとの関わり、選択の自由度など6つの観点から説明が加えられているので、客観的、相対的な暮らしの安定や安心という面でも納得がいく。
そもそも、自分が幸せかどうかは、自分が感じられればいいことで、他人が決めることではないし、たとえ客観的指標でなにか欠けていることがあったとしても、本人が「幸せだな」と感じているならば、それがすなわち「幸せである」ということに誰がケチをつける必要があるのか。他者と比べてでしか、幸せを感じられないならば、それは確かに「不幸」なのかもしれない。
と言いつつも、「ブータンが幸せの国」と『世界幸福度報告』でも注目され、一時期日本のメディアでもよく取り上げられていたとき、震災直後に国王夫妻が来日して励ましてくれたことや、幸せだと笑顔で話す国民が多いことが素晴らしいなと感じながらも、正直なところ、私の中にも客観的経済指標で生活を比べるところがあり、自分自身にはあまり親和性がなく、どこか違う世界のことのように感じていた。
デンマークに到着してみて。
住民ではなく旅行者の視点でわかることはとても限られているが、それでも、街全体が落ち着いていることを肌で感じる。直前に、あまりにもこの20年で変わってしまったベルギーや(「テロの温床」と言われるのもむべなるかなというような荒れっぷりだった)、難民の通り道になっているハンガリーに滞在したからかもしれないが、公園は整備され、犬の散歩やランニング、自転車で移動している人も多く、一般道を徒歩で移動する衛兵交代が毎日行われ、レストラン、カフェ、ショップ、スーパーの店員はテキパキ笑顔で働いている。余裕を感じる。
現地の老若男女に、何度か幸福度のことを聞いてみた。先の調査を知っている人も知らない人もいたが、皆一様に幸せだと言う。
「理想郷があるわけではなくて、現実に生きているといろんな問題も起きる。起きて当たり前。それをどう受けとめるか」と言われ、「どう乗り越えていくか?」と尋ねると、「乗り越えなくていいんだよー」と笑顔で返された。起きたことにどう意味づけして、どのように伴走するかと話してくれた。また、別の人は「『幸せ』と『満足』は違う」と話してくれた。「国民性として自己主張の強くない国、日本と似ていると思う」と話す人もいた。
どこから来たのか誰だかわからないフラーっと遊びにきたような外国人に、こんな話をしてくれることにも余裕を感じるし、それぞれに人生に対する哲学があることを感じる。挨拶の延長線上での数分間の会話にもかかわらず、私自身が無意識にもっている問題の捉え方、生き方、価値観を認識させられ、考えさせられる。
高福祉、高負担の納税、勤務時間の短さ、笑顔、心の余裕、物理的な余裕、自然、やりがい、生きがい、人とのつながり…幸せを感じること。働く人のメンタルヘルス研修を受け持つことの多い私には、とても刺激的な出会いの旅だった。(2016年3月)