エッセイ

奏でる幸せ。/津村 薫

幸せについての魅力的なエッセイが続く。なんて素敵なんだろうと読み惚れつつ(仲間自慢ですみません)、ここは私も「幸せオムニバス」ということで、小さな幸せについて書いてみようと思い立った。

今年の初めからアコースティック・ギターを習い始めた。

3歳の頃からピアノを習っていた。大した腕前にはならず、受験を理由に中学生で遠ざかってしまうのだが、ピアノを習ったことで私は鍵盤楽器を楽しむことを知り、弾きながら歌う楽しさを知った。その楽しさは忘れ難くて、大人になってから、また電子オルガンを習った。鍵盤はその後も、私が音を楽しむためのきっかけをたくさん作ってくれたと思う。

ピアノをしている人は指を痛めるからと当時勧められなかったが、実は私は、ギターが弾けるようになりたかった。弾ける人を見ると「いいなー」と羨ましく思いながらも、独学でやるパワーはもちろんのこと、習う時間はないだろうと長年諦めていた。一方で、オフを充実させたいものだと常々思ってもいた。昨秋、「大人のための体験レッスン」の広告をたまたま見つけて、一度試してみるのもいいかもしれないと昨年末に申し込んで参加した。

30分の体験レッスンはとても楽しく、何より久しぶりに音に触れたことでわくわくした。その後も、有料の3回レッスンなどを経て、今年から正式に入会した。スケジュール調整がつくのかどうか自問自答はしたが、全部行こうと思わなくてもいい、行けない時期があっても細々とやってみようと決めた。

それから約3ケ月。辛抱強く優秀な先生のおかげで、私はレッスンを楽しんでいる。誉め上手な先生で、トホホな実力の持ち主の私の良いところをきちんと伝えてくださるので、本当にありがたいことだ。時間厳守で、きっちりと時間内をあますところなく充実した時間にしてくださり、この先生に習えて良かったと思う。

私の実力は本当にお恥ずかしいままで、いくつかのコードを覚えてジャーンと鳴らすことができる程度。ギター少年たちがあっという間にうまくなっていくのは、大人から小言を言われることがあろうとも、寝ても覚めてもギターを放さないからなのだろう。名ギタリストとして名を馳せるアーティストがコンサートで、必死にギターを練習していた少年時代のことを話されていた。

現実的に私がギターを持てる時間はあまりに少ないし、若い頃と違ってカンも(さらに)良くない。それでも練習不足を叱らずにいてくださるどころか、少しでも良い点を伝えてくださる先生には感謝だ(先生のお人柄にもよるのだろうが、大人のための教室は、生徒の練習不足を叱らないのが鉄則なのかもしれないと感じる)。それでも下手なまま、できないままなのはくやしいので、空き時間に必死に弾く。そうして、ちょっとだけ誉めてもらえることが増えた。あきらめずに少しずつ上手になれたらと思う。

面白いことにギターを始めて以来、テレビを見てもコンサートに行っても、私の目はギタリストに釘づけだ。なんであんなにコード進行がスムーズなんだろう。手元なんかまるで見ていないのに。右手も左手も魔法のように動いているぞ。なんてかっこいいんだ。そんなことばかり考えて、気づけば見入っている。先生にそれを言うと、「そうでしょうね」と。「ビギナーあるある」なんだろうな(笑)。

それにしても人に教わるっていいものだなと思う。自分では気づかないことを教えてもらえて、プロが教えるとこうスムーズなのかと感嘆するばかり。それに、先生の出すギターの音色の美しいことといったら、すごい。同じようなギターを弾いているのに、全然音色が違う。あんな美しい音色が出せる日は自分には来るのだろうかと思わず気が遠くなるが、いつかそんな日がくることを夢見て楽しもう。

奏でる幸せが日毎に深まってゆくといいな。

(2016年3月)

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