エッセイ
この時代に生まれて/下地久美子
昨年10月から始まったNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が今週いよいよ最終回を迎える。このドラマは、幕末から明治、大正にかけて大阪を中心に活躍した女性実業家の広岡浅子さんの生涯をモデルにしたものだが、女性が表舞台に出ることがなかった時代に、企業の経営者として、銀行や生命保険会社、さらには女子大学を日本で初めてつくるなど、キャリアウーマンの先駆け的な存在で、こんなすごい人がいたのだと、とても元気づけられる内容だった。
このドラマを観ていると、昔は、これほどまで女性の地位が低く、女性には学問など必要ではない、家のことだけしておけばいいということがまかり通っていたということに、悔しい思いが沸々と湧いてくる。もちろん、そういう時代を経て、女性運動家たちの奮闘や戦後の国際的な男女平等思想の導入によって、徐々に女性の地位が向上していくわけではあるが・・・。
私も、その時代に生まれ、「夫に仕え、子を産み、家の繁栄に貢献することこそ、良妻賢母の鏡」と、親からまた世間から言われ続けられていたら、それに疑問を持たず、「そういうものだ」と、受け入れてしまっていたにちがいない。
昭和4年生まれの義母は、沖縄の宮古島からさらに船で渡っていく小さな島の出身である。高等小学校を卒業後、教員をめざして、那覇の師範学校に入学する。そこの上級生たちが後に「ひめゆり学徒隊」となった学校である。
義母が入学した頃に、太平洋戦争が激化し、生徒たちは、勉強はそっちのけで、飛行場や高射砲陣地での勤労動員に駆り出されたそうだ。それでも親元から離れた寄宿生活には、楽しいこともあったようだが、やがて本土決戦となり、下級生であった義母は夏休みに帰省したのを最後に、二度と学校へ戻ることはできなかった。
戦争だったから、みんな生き延びることが精いっぱいで学校どころではなかったといえば、命があるだけでもありがたいと思わなければならないのだろうが、国の都合で夢を断たれてしまった者は、誰に文句を言えばいいのか。
多くの人がそうであったように、「仕方がない」と、義母も、その運命を飲みこまざるを得なかった。もし、あと5年遅く生まれていたら、義母は幼い頃からの憧れであった教師になれていたかもしれない。
戦後の高度経済成長期に生まれた私は、日本の経済が右肩上がりに伸び、暮らしがどんどん豊かになっていく中で、大人になった。まだ、性別役割を期待されることは多かったが、建前上は、学校も職場も男女平等で、行きたい学校で学び、やりたい仕事に就くことができた。
幸せなことに、自分の意思ではないところで、我慢したり、諦めさせられるということもなかった。
それは、これまで100年以上の歴史をさかのぼって、国や社会の犠牲となった女性たちの無念や女性の地位向上を賭けて戦ってきた先人たちの頑張りがあって、今があるということを忘れてはならないと思う。
そして、時代の風向きは、あっという間に変わる。戦後70年たち、あれほど多数の犠牲を出し、人々の生活を破壊しつくした戦争を経験し、二度と戦争を起こさない国であることを誓ったはずなのに、昨年の夏「安全保障関連法案」が可決され、憲法改正に向けた動きが強まってきている。
この時代に生まれてきた私たちがやらなければならないことは、国の政策に抵抗を示し、女性たちが苦労して勝ち取ってきた自由や平等、人権を守ることではないだろうか。
次の世代へより良い時代をつないでいきたい。
◆参考文献
下地久美子(2013)「NHK連続テレビ小説における女性像の変遷-フェミニズムの視点から」『フェミニズムはどこへ』(女性ライフサイクル研究第23号)三学出版
窪田容子(2013)「日本のフェミニズムの歴史-女をめぐる意識と社会の変遷」『フェミニズムはどこへ』(女性ライフサイクル研究第23号)三学出版
(2016年3月)