エッセイ

先生が教えてくれたこと/窪田容子

印象に残っている先生と、その場面がいくつかある。のんびりした自由な校風の高校だった。中学校で、息苦しい管理教育を体験してきた私にとっては、自由で過ごしやすい学校だった。

一番印象に残っているのはA先生だ。修学旅行で磐梯山に登った時のこと。なかなかハードな山登りの末に頂上に到着したら、美しい景色が広がっていた。頂上まで登ってきた達成感を味わいながら「綺麗だね~」と感動していたら、A先生が「たいしたことないね・・・」とぼそっと言って去っていった。それを聞いて、びっくりもしたが、どこか嬉しくもあった。夜のレクレーションでは、先生たちの出し物があったが、生徒たちに名前を何度コールされてもA先生だけは舞台に上がることなく、部屋からも逃げていった。A先生らしいなぁと、みんながそれを受け入れていたように思う。

私は、特に中学時代によくあるクラスで一丸となって、体育大会や合唱コンクールなどの行事に向けてがんばり、盛り上がるということが苦手だった。いつもどこかで冷めていたが、あからさまにそんな態度をとることもできず、行事が終わるとほっとした。みんなが右を向いていたら、一人だけ左を向いていたいようなところがある子どもだった。

A先生にどれほどの意図があったのかは知る由もないが、私はそんなA先生の言動から、人と違う感性を持っていて良いということ、いやなことはいやだと通して良いということ、周りに無理して合わせないで良いということを、後押ししてもらったような気がした。

他にも、時々「今日は暑いなぁ。勉強やめとこか」などと言って、教科書を開かずに、先生の子どもの頃の生活や思い出を1時間語ってくれる、おじいちゃんのような英語の先生がいた。英語の授業より、ずっと有意義な時間だった。

国語の先生は、生徒たちに俳句や短歌を作る課題を与えて、それを印刷しては配ってくれた。普段の姿からは見えない同級生たちの、思いや悩みに触れることができて、読むのが楽しみだった。

大人になってからも印象に残っているのは、知識の詰め込みでも受験に役立つ勉強でもない。

不思議な雰囲気を持っている先生もいた。良くも悪くも個性的な先生が多かった。あの先生とこの先生は相性が悪いなどのことも、私たちは知っていたし、そりゃそうだろうと納得もし、受け入れていた。先生の色々な面を含みこんで、先生の中にも生徒の中にも、そんなものだと受け入れる雰囲気があった。自分自身というものを形成しようとする感受性豊かなあの時期に、いろいろな先生の姿や価値観に触れ、自分自身の価値観と照らし合わせ、取捨選択をして、私は自分を形成していったように思う。社会へのつなぎとなる学校という場で、個性的な人間味のある先生の多様な価値観に触れることを通して、子どもの視野が広がり、発想が豊かに育まれて、自分なりの価値観を身につけていくことができるのではないかと思う。

(2016年8月)

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