カウンセリング

「きょうだい児」の生きづらさ

フェリアン大阪・京都では、障害や病気により多くのケアを必要とするきょうだいや、問題行動を起こすきょうだいがいる(いた)方の、生きづらさをテーマとするカウンセリングをしています。このような立場の子どもを「きょうだい児」と呼び、ケアが必要であることが少しずつ認識されてきました。

「きょうだい児」の生きづらさ

障害や病気がある子どもがいる家庭では、その子のニーズに合わせた関わりが必要となります。しかし、親の手が特定の子にかかるために、そのきょうだいが、寂しい思いや、甘えられなさを抱いていることがあります。

「あなたは健康なのだから、それだけでありがたいと思わないとだめよ。ちょっとしたことで、文句言わないの。」

「お母さん、〇〇くんのことだけでも大変なのだから、あなたまでわがまま言わないで。」

「〇〇ちゃんはかわいそうなのだから、あなたがゆずってあげないと。」

このように言われて、自分の欲求は押し込めるしかなく、我慢ばかりしてきた人の話をきくことがあります。それがあまりに当たり前の日常であったため、自分の欲求が何なのか分からないという方や、我慢してきた実感はないけれど生きていることを楽しいと感じたこともないという方もいます。

運動会で活躍して喜んでいると、「〇〇は走れないのよ。あの子の気持ちも考えてちょうだい。」と顔をしかめられたり、修学旅行前には、「〇〇は行けないのだから、はしゃがないで。」と注意されたりした方の話を聴きます。喜びの感情が出せなくなった、感じることもできなくなった、喜びを感じそうになると同時に罪悪感が生じる方もいます。

きょうだいが家で暴れるのでいつも緊張していたり、暴力を振るわれても誰も止められず助けてもらえなかったり、親が大変そうなのが分かるので、自分はいい子でいるしかなく、常に周りの顔色を伺って子どもらしい子ども時代を過ごせなかった方もいます。きょうだいのことでからかわれたりいじめられた体験のある人もいます。

将来、障害や重い病気のきょうだいを支えてもらうためにあなたを産んだと言われて、自分自身の人生はどうでもいいような気がしているという方にも出会います。親がいなくなった後の不安もあるでしょう。

さびしさやつらさを表現でき、それ受けとめてもらえたり、たとえ短い時間であっても自分だけに関わってくれる時間を作ってもらえたりしたなら、自分も大切にされていて、同じく大事な価値ある存在と感じることができるでしょう。

しかし、いつも自分が後回しになる、我慢することばかりが求められる、気持ちを表現することが許されないとなれば、自分は親に愛されていないのではないか、そんな自分は大切な存在ではないのではないかと、自分の価値を疑うようになってしまいます。

家庭内にとどまらず、友達関係や職場においても、我慢をすることが当たり前、自分の欲求を言ってはいけない、人に合わせないといけない、頼ってはいけない、人の役に立たないと存在価値がないと感じて無理を重ねてうつになったり、人や社会と関わることがつらくなったりすることがあります。

生きづらさを軽くしていくために

カウンセリングでは、カウンセラーとともに以下のようなことに取り組んでいきます。

① 気づく
家庭環境が自分自身にどのように影響したのかに気づく。

② いたみ悲しむ
感じないようにしてきたこと、抑圧してきた思いに気づく。本当はどうしたかったか、またはしたくなかったのかということに目を向け、得られなかったものや傷ついてきたことを、いたみ悲しむ時間をとる。

③ 過去を受け入れ、癒す
過去の自分を受け入れ、子ども時代に満たされなかった当たり前のニーズを、満たしていくことで、苦しみや悲しみを和らげる。

④ 自分の力に気づく
その時代を生き抜いてきた自分自身の力に気づく。

⑤ 手放す
身につけた考え方や行動パターンから、今は必要ではなかったり、自分を生きづらくさせたりしているものを手放す。

⑥ 感情や欲求に気づき、自己肯定感を高める。
悲しみや怒りだけでなく、喜びや楽しさなどいきいきした感情とつながる。自分の欲求に気づき大切し、自己肯定感を高める。

⑦ 望む現在と未来、自分を創り出す
現在と未来に向けて、自分の力になる考え方や行動パターンを手に入れていく。健全な人間関係をつくり、社会の中に心地よい居場所をみつけ、自分の願いを実現していく。

このプロセスは、人によってさまざまに異なります。たやすいものではないかもしれません。過去のことをふりかえり、自分がつらい思いをしてきたことを認めるのには痛みが伴います。親やきょうだいに対する怒りや悲しみなど、いろんな感情に揺さぶられ、一時的に不安が高まることもあります。

フェリアン大阪・京都のカウンセリングでは、この道のりに寄り添いたいと思います。これまでの人生は、他者が主役で自分が脇役のように感じていたかもしれません。この先は、自分が主役の人生を創り出していきませんか。

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